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大阪水曜ほっと集談会一世です。
昨日職場でとても嫌な事がありました。
業務上必要に迫られて指示したことが反発を招いたのです。
原因は本当に些細な事です。
あらためて、人が人を理解することの難しさを感じています。
職場の極端なコスト削減が、深刻な人員不足を生んでいます。
当然ギスギスとして皆余裕がなく、小さな行き違いが大きなる軋轢を生みやすいのです。
また非正規社員が社員並みに働くことを求められている現実もあります。
当然仕事内容が同じでも、給与が違うので長時間労働を余儀なくされます。
ここで問題になりやすいのは、非正規社員の立場で同じ立場の人間に経験上指示を出すことの人間関係の煩わしさです。
言い方ひとつで反発を生みます。
そこにとてもストレスを感じるのです。
以前は1週間くらい引きずりましたが、昨日は缶ビールを飲んで早々に寝てしまいました。
森田博士の森田全集第五巻の中には縁なき衆生は度し難しという言葉が時々出てきます。
えんなきしゅじょうはどしがたしと呼びます。
これも仏教の言葉です。
縁は仏縁を意味し、衆生は命あるものすべて特に人間を指し、度しがたしは救いがたい、悟りを開かせることができないという意味があるそうです。
転じて、いくら話をしても聞く耳をもたず、理解や関心を示さない者は救いようがないことをいうそうです。
誠意を尽くして話せば理解し合えるはずである、これもかくあるべしですね。
職場でも家族でも集談会でも理解しあえる部分もあれば、理解できない部分もある。
それが事実ですね。
それでも私が現役のサラリーマンにこだわるのは、このストレスが無ければ集談会で、今悩みの渦中の皆さんに本当の意味で共感できない気がするのです。
過去のこととして、うわべだけの受けとめになるような気がするのです。
しかし相反するようですが、日々仕事のモチベーションが上がらない。
ある意味でどうしようもない職場から撤退することも必要であると考えています。
もはや、そこまで無理に適応する義務も責任もないのです。
答えの出ない自問自答にゆらゆらと揺れながら、日々を過ごしている一世です。
2023.1.6 一世