清少納言や紫式部、そして紀貫之は、
午前3時頃に起床していたらしい。
平安時代の京の貴族たちは、
ネンテン先生と同じ午前3時派だったのだ。
「春は曙 やうやう白くなりゆく、山ぎは
少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
春は曙がとってもすてき、紫色を帯びた雲が
山(比叡山)にかかってたなびいているのも
いいわ、というのだが、彼女、外界が
明るくなっていくようすにわくわくしている。
ネンテン先生も曙にわくわくしている。
中略
照明のまだ乏しかった時代だから
日の出日の入りに従って1日があったのだろう。
それにしても、3時は少し早い気がしないでもない。
夜がしらむ曙までに時間がたっぷりある。
実は、空が明るくなる曙の前に
男女の時間があった。
当時は男が妻の家へ通っていたが、
男は日が落ちてから妻のもとを訪ねた。
そして、
曙の前の暁という時間帯に妻の家を辞したらしい。
いわゆる後朝(きぬぎぬ)の別れだ。
夫婦の、あるいは恋人どうしの
幸福な時間が曙の前にあった。
だから、
清少納言たちは午前3時頃に起きたのだろう。
「春は曙」という清少納言の断定には、
すてきな時を過ごした後の幸福感があったのかも。
ネンテン先生は、以上の話を奥様にしたら、
奥様は即座に断定した。
「あなたのは単なる老化現象よ」
いつも楽しいネンテン先生だ❣
午前3時なんて・・・私には
まだまだ夢の中だわ。
・・というわけで
「曙」の写真は撮れず
「夕照」の写真ですみません( ;∀;)