浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「講演集」より。

2014-06-01 01:31:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                       講演集 一


               「思い変えの方法「結構の源やん」


人生は思い変えの訓練が大事です。
その訓練の最も良い方法で皆さんに分かり易く一番参考になるのが「結構の源やん」の話です。
現在の東大阪市に、名前は「源やん」渾名は「結構」という方がおられたそうです。
明治の初期だそうです。
この方はどんなことが起きても絶対に不満不足を言われなかった。
何が起きても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおしゃったのです。
だから、「結構屋さん」とか「結構の源やん」という呼名がついたのです。で、ある年、
毎日毎日雨が降り続いたそうです。
一ヶ月からも降ったそうです。

その時代、「土方殺すに刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい」といって、
三日間、仕事ができなければもう日雇いの人は食べていけないような状態だったのです。
その時は一か月から雨が降り続いたということです。
源やんの友達の人たちが、「さすがにあの結構の源やんもこれだけ雨が降ったら、
もう結構とはよう言わんやろなあ。
一回何て言うか聞きに行こうか」と言って、源やんの家に行ったそうです。
「ごめん、源やんおるか!」と言うと、
「ハーイ」と言って出てこ来られたそうです。
「かなわんなあ、こんだけ降ったら」と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」とおっしゃったそうです。
「結構、結構やないか」というのは、「有難いやないか」ということです。
「これだけ雨が降るのに何が結構や」と友達が聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、もし神さんが天でこう受けてくれはって、 
そして一杯たまった三十日分の雨をバーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、 
家も畑も田圃もみな流れてしまう。
こんなに毎日しとしとと分けてよう降らしてくれはったもんや」と言って
喜ばれたそうです。

もう食うていけないような状態の中にあっても、毎日降る雨を一度に溜めて降らしたら、
えらいことになるのに、うまいこと分けて降らしてくれるとは、神さんって有難いなあ
というように思い方を変えてしまうのですね。
世間の人は皆「かんわんなあ、かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な、まあ大金持ちですね、大分限者になられたそうです。
大阪では有名な話です。

「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びにくる」

私達はまず喜ばなくてはいけません。
そうしますと喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことが言えます。
不足、愚痴、そういう思いを想念し、行為しておりますと、不足や愚痴がよけい不足や
愚痴を言って、不足や愚痴を集めて来ます。
幸せになる筈がありません。
すべてを喜びに変える方法は、この「源やん」の思い方をうまく利用することですね。
そうしますと、どんなものでも喜びに変えられます。
見方、思い方をちょっと変えてみますと、感謝することは一杯あるのです。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2014-06-01 01:25:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                       講演集 一


               思い変えの方法「結構の源やん」


人生は思い変えの訓練が大事です。
その訓練の最も良い方法で皆さんに分かり易く一番参考になるのが「結構の源やん」の話です。
現在の東大阪市に、名前は「源やん」渾名は「結構」という方がおられたそうです。
明治の初期だそうです。
この方はどんなことが起きても絶対に不満不足を言われなかった。
何が起きても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおしゃったのです。
だから、「結構屋さん」とか「結構の源やん」という呼名がついたのです。で、ある年、
毎日毎日雨が降り続いたそうです。
一ヶ月からも降ったそうです。

その時代、「土方殺すに刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい」といって、
三日間、仕事ができなければもう日雇いの人は食べていけないような状態だったのです。
その時は一か月から雨が降り続いたということです。
源やんの友達の人たちが、「さすがにあの結構の源やんもこれだけ雨が降ったら、
もう結構とはよう言わんやろなあ。
一回何て言うか聞きに行こうか」と言って、源やんの家に行ったそうです。
「ごめん、源やんおるか!」と言うと、
「ハーイ」と言って出てこ来られたそうです。
「かなわんなあ、こんだけ降ったら」と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」とおっしゃったそうです。
「結構、結構やないか」というのは、「有難いやないか」ということです。
「これだけ雨が降るのに何が結構や」と友達が聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、もし神さんが天でこう受けてくれはって、 
そして一杯たまった三十日分の雨をバーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、 
家も畑も田圃もみな流れてしまう。
こんなに毎日しとしとと分けてよう降らしてくれはったもんや」と言って
喜ばれたそうです。

もう食うていけないような状態の中にあっても、毎日降る雨を一度に溜めて降らしたら、
えらいことになるのに、うまいこと分けて降らしてくれるとは、神さんって有難いなあ
というように思い方を変えてしまうのですね。
世間の人は皆「かんわんなあ、かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な、まあ大金持ちですね、大分限者になられたそうです。
大阪では有名な話です。

「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びにくる」

私達はまず喜ばなくてはいけません。
そうしますと喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことが言えます。
不足、愚痴、そういう思いを想念し、行為しておりますと、不足や愚痴がよけい不足や
愚痴を言って、不足や愚痴を集めて来ます。
幸せになる筈がありません。
すべてを喜びに変える方法は、この「源やん」の思い方をうまく利用することですね。
そうしますと、どんなものでも喜びに変えられます。
見方、思い方をちょっと変えてみますと、感謝することは一杯あるのです。


               ~ 感謝・合掌 ~





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