浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「講演集」より。

2014-06-17 01:58:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~


                  講演集 一


 
          「親切な人が不幸である場合の原因」


先日、四国でお話させてもらいました時、「今日はいいお話を聞かせてもらいました。
お釈迦様もキリスト様も説いておられないことを聞かせてもらいました」と好評でしたので、
その話をさせていただきます。

人の良い親切な方で、わが事を放っておいても他の人の為に親切を尽くす、
まるで神様か仏様のようなやさしい良い方が案外不幸に生きておられる場合が多いのはなぜか、
というお話です。皆様のご近所にもあると思います。
親切な方は、人が道に倒れていると起こして、家はどこですかと尋ねて連れて行ってあげますが、
冷たい人は、倒れていたらそんなものは蹴倒して行きます。
もっとがめつい人は、ポケットの中にそっと手を突っ込んでみて、
入っているものを自分のポケットに移し替えてしまう。

そういう人が案外うまくいっている場合がありますが、それはなぜか。
私達は親切な人が不幸に生き、がめつい人がうまくいっているのを見ると、
この世の中には神も仏もいないと、神仏がおられたら、
こんなことになる筈がないと思います。
けれども神も仏もちゃんとおられます。良い方が不幸なのは、
やはり原因があってその結果として現れているのです。

お釈迦様も説かれていますように、
すべて原因と結果の法則によって成り立っています。
どんなに見た目に良い方のようであっても、
不幸な目に会われる原因があるから不幸なのです。
人に親切にしているその面からだけ見ると、
決して悪いことはされていませんね。
ところが、そういう親切な方は、自分が親切なものだから、
人も皆親切だと思っている。
これだけしてあげたらこの人は滅多に私を裏切らないだろうとか、
これだけしておいたらこの人は今度はお礼をしてくれるだろうとか、
私が困った時にあの人は放っておかないだろうとか、
そういう思いをかけて人の為にしておられる。

でも人は顔が違うように皆心が違うから、平気で裏切る方は、
裏切っていきます。
その裏切りを受けた時に、夜もよく眠れずに苦しみ、
自分の心を低くしてしまいます。
あれだけしてあげたのに、
あの人は恩知らずの何という人だろうと思って怒り腹立ち、憎しみ、
また呪います。
人から裏切られるたびにその方は苦しみを味わうわけです。
ですから、親切をされる回数が多ければ多いだけ、
裏切られる回数も多くなっていきます。
従って自分を苦しめる回数も多くなっていくのですね。
私達は自分の心を苦しめますと、必ず自分の環境とか肉体の上に
苦しみとなって現象化して現れてきます。


             ~ 感謝・合掌 ~




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