浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「御垂訓」~心の扉~

2018-12-16 02:27:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:感謝の心を持つ時間は
        安らぎの時間

  
先の続き・・・

禅の世界で禅定と言って
心を安らかにする修行があります。
これで皆さんが最初に
困ることがあります。

じっと座っていると、
物音がします。
下駄の音がする時など、
まず気が散って心が動きます。

折角、
心安らかにしているのにうるさいな。
と、言うわけです。
次にあの下駄の主は男の人かなぁ、
女の人かなぁ、と、
思ったりします。

音が少し軽いから女の人だなぁ、
どこの人かなぁ、
分からないけれど、
べっぴんさんかなぁ、
髪が長いかなぁ、短いかなぁ、

こうして心は留まるところを知らず、
飛び回ります。
しかしその時、その時で、
一つ一つしか追っていません。

一つのことに心が支配されると、
それだけになるのです。
この一つしか思えない
人間の心をうまく
利用すればいいのです。



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「御垂訓」

2018-12-16 00:23:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 八
  「実在の世界にあって諸々の諸霊を
           善導する光の天使なり」

先の続き・・・
肉体を頂いておりましても神の
御胸にいだかれます。
それは実践を通して神の御胸に
いだかれることができます。
理屈とか学問理論では、
神の御胸にいだかれることはできません。
私は昭和五十四年に、
神の御胸にいだかれるという思いをいたしました。

しかし、その思いを頂く前に
自分というものを見ました時に、
愚かにも悪行重ね罪作りやがて帰らん地獄なる国
間違いなしに地獄へ行く、
このままいくと間違いなしに地獄へ落ちなくては
いけない、そういう罪深い自分に目覚めました。
そして、光の世界へ救われまして、
「神、我と共にあり、我、神と共にあり」
ということを分からせて頂くことができました。
神はいつも私たちの側にいて下さり、
神の御胸の中に生きさせていただいているのです。

実践の度合いによって、
それを分からせていただくことができます。
そのような心境にさせて頂きますと、
憑依現象などがありました時、
「どうぞ私の中に来て下さい」と言って招き入れ、
その方は即、神との対面することができます。
そして救われます。

これをやりますと、
「本人に反省もさせないで天上界に上げるとは、
けしからん」と言って叱る方があります。
けれども神と迷える霊が直接会われた時、
神はその光によって、
たちまち無限の許しをもって
浄化して下さいます。


  ~ 感謝・合掌 ~


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