第1話 メタエンジニアリングこと始め
新しいエンジニアリングとして「メタエンジニアリング」について紹介を始めようと思う。
①現代の日本のエンジニアリングは、人間社会の持続的発展と幸福のためにこのままの進化を続けることだけで良いのだろうか?
②いや、もっと単純に日本発のイノベーションがなかなか育たないのは何故だろうか?
③先端科学や、先端技術はどんどん進んでゆくのだが、肝心の社会科学や人文科学とは次第に距離が離れてゆくのではないだろうか?
などなど、現代のエンジニアリングというものに注目をすると、かなり心配な心持になってしまう。
そんな時に、社団法人日本工学アカデミー という団体の政策委員会から、2009年11月26日に「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」 という「提言」が出された。ご理解を得るために、少し長文になるが、その中味を原文のまま紹介しよう。
Executive Summary
日本社会にとって重視すべき科学技術分野を検討するということは、科学技術創造立国の視点から日本社会が現在抱えており、また将来抱えるだろう多様な課題にいかに科学技術で立ち向かうか、の戦略を再考する事に他ならない。
日本社会にとって人類の生存と地球環境の維持のために科学技術を用いたイノベーションこそが必要であり、日本が世界の先頭に立ってそれを実現するための提言を行う。
本提言は、今後重視すべき科学技術のあり方においては「俯瞰(ふかん)的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技、術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである、との考えに基づくものである。この「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。顕在化した課題に対する科学技術の適応にとどまらない、根源的なイノベーションを推し進めたい。また、顕在化された課題に対して科学技術を融合する点にのみ焦点を当てたアプローチとは広がりを異にする。この根本的エンジニアリングの技術概念を深化させ体系化する研究を強力に推進し、かつ根本的エンジニアリングを具体的に実践する場の設定が必要であり、そのためには活動主体として公(国および地方)と民、産官学を包含する国レベルの政策としての展開が必要である。
第四期科学技術基本計画等において根本的エンジニアリングを強力に推進することを提唱する。
つまり「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を研究し、実践してみようという試みなのだ。その後、この対案の具体化のために専門部会が設立され、筆者はその一員として参加をすることになった。
この部会での議論は様々で、まだ一つのきちんとした方向や、ましてやそれに沿った具体的な活動による成果は現れてはいない。しかし、それだからこそこの様な段階でその一部を公表して、その方向性を明確にしてゆくことが「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」にとっては相応しいのではないかと思いつつ、このお話を始めてみることにした。
私が第1に注目をしたのは、むしろMeta Engineeringという英語名の方だった。古代ギリシャの哲学者のアリストテレスが提唱した「現実を超えた概念的なもの」を追求することは「形而上学」、英語では「Metaphysics」と呼ばれるが、ギリシャ語では「Meta physica」である。これはアリストテレスが現代の自然科学で言えば数学、天文学、生物学、気象学などの領域(即ち、自然学;Physica)を極めた後に、さらなる大本(おおもと)のものを見出すために到達した領域と云うことで名付けられた。即ち「Meta」はここでは「後で」を意味する。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、様々な自然学や科学者の倫理などを追求した後に、その根本を追求するための学問であるMeta Physics(形而上学)を始めた。
このことは、メタエンジニアリングが様々なエンジニアリング(工学や技術)を追求した後で追求されるべきエンジニアリングであると主張していることと符合する。
20世紀の最大の哲学者といわれているハイデッガー は「存在と時間」で有名だが、後に技術についての論文を発表した。その中身は、「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」 というものだ。確かに20世紀以降急激に技術(工学ともいえる)が発展し、世の中は便利になり、経済的に潤(うるお)った。先進国と途上国の定義も技術レベルの差異が基本になっていると思う。しかし、同時に公害や地球温暖化や大規模なテロ(ハイデッガーの時代は、ナチスドイツであった)なども、すべて技術の産物である。その意味でハイデッガーの技術論は正しかった。技術が全てを凌駕することになってしまったのである。そして、技術の実行は常に良い面と悪い面を持つ、本来は中立的なものだが一般には良い面が強調されて進んでしまう。
根本的エンジニアリングのスタートは「潜在する課題の発見」である。このことは、さらに良い面を強くする課題もあるが、一般に見えていない悪い面の課題を発見することにも用いるべきであろう。その意味での「Meta-Engineering」は、現代の「Engineeringの後から現れるべきもの」であり、これからの文明の行く末にきっと役立つことであろう。そんな期待が膨らんでくる。「すべてが技術化してしまうこの時代の根本にあるもの、その正体を見極めようというのがハイデッガーの思索の最大の課題なのである。」との解釈をした本もある。
ハイデッガーは、その「技術への問い」 の中では、問題提起のみで一切の解答を与えていない。もし、メタエンジニアリングがその正体に少しでも近づけるのであれば、素晴らしいことではないだろうか。
新しいエンジニアリングとして「メタエンジニアリング」について紹介を始めようと思う。
①現代の日本のエンジニアリングは、人間社会の持続的発展と幸福のためにこのままの進化を続けることだけで良いのだろうか?
②いや、もっと単純に日本発のイノベーションがなかなか育たないのは何故だろうか?
③先端科学や、先端技術はどんどん進んでゆくのだが、肝心の社会科学や人文科学とは次第に距離が離れてゆくのではないだろうか?
などなど、現代のエンジニアリングというものに注目をすると、かなり心配な心持になってしまう。
そんな時に、社団法人日本工学アカデミー という団体の政策委員会から、2009年11月26日に「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」 という「提言」が出された。ご理解を得るために、少し長文になるが、その中味を原文のまま紹介しよう。
Executive Summary
日本社会にとって重視すべき科学技術分野を検討するということは、科学技術創造立国の視点から日本社会が現在抱えており、また将来抱えるだろう多様な課題にいかに科学技術で立ち向かうか、の戦略を再考する事に他ならない。
日本社会にとって人類の生存と地球環境の維持のために科学技術を用いたイノベーションこそが必要であり、日本が世界の先頭に立ってそれを実現するための提言を行う。
本提言は、今後重視すべき科学技術のあり方においては「俯瞰(ふかん)的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技、術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである、との考えに基づくものである。この「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。顕在化した課題に対する科学技術の適応にとどまらない、根源的なイノベーションを推し進めたい。また、顕在化された課題に対して科学技術を融合する点にのみ焦点を当てたアプローチとは広がりを異にする。この根本的エンジニアリングの技術概念を深化させ体系化する研究を強力に推進し、かつ根本的エンジニアリングを具体的に実践する場の設定が必要であり、そのためには活動主体として公(国および地方)と民、産官学を包含する国レベルの政策としての展開が必要である。
第四期科学技術基本計画等において根本的エンジニアリングを強力に推進することを提唱する。
つまり「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を研究し、実践してみようという試みなのだ。その後、この対案の具体化のために専門部会が設立され、筆者はその一員として参加をすることになった。
この部会での議論は様々で、まだ一つのきちんとした方向や、ましてやそれに沿った具体的な活動による成果は現れてはいない。しかし、それだからこそこの様な段階でその一部を公表して、その方向性を明確にしてゆくことが「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」にとっては相応しいのではないかと思いつつ、このお話を始めてみることにした。
私が第1に注目をしたのは、むしろMeta Engineeringという英語名の方だった。古代ギリシャの哲学者のアリストテレスが提唱した「現実を超えた概念的なもの」を追求することは「形而上学」、英語では「Metaphysics」と呼ばれるが、ギリシャ語では「Meta physica」である。これはアリストテレスが現代の自然科学で言えば数学、天文学、生物学、気象学などの領域(即ち、自然学;Physica)を極めた後に、さらなる大本(おおもと)のものを見出すために到達した領域と云うことで名付けられた。即ち「Meta」はここでは「後で」を意味する。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、様々な自然学や科学者の倫理などを追求した後に、その根本を追求するための学問であるMeta Physics(形而上学)を始めた。
このことは、メタエンジニアリングが様々なエンジニアリング(工学や技術)を追求した後で追求されるべきエンジニアリングであると主張していることと符合する。
20世紀の最大の哲学者といわれているハイデッガー は「存在と時間」で有名だが、後に技術についての論文を発表した。その中身は、「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」 というものだ。確かに20世紀以降急激に技術(工学ともいえる)が発展し、世の中は便利になり、経済的に潤(うるお)った。先進国と途上国の定義も技術レベルの差異が基本になっていると思う。しかし、同時に公害や地球温暖化や大規模なテロ(ハイデッガーの時代は、ナチスドイツであった)なども、すべて技術の産物である。その意味でハイデッガーの技術論は正しかった。技術が全てを凌駕することになってしまったのである。そして、技術の実行は常に良い面と悪い面を持つ、本来は中立的なものだが一般には良い面が強調されて進んでしまう。
根本的エンジニアリングのスタートは「潜在する課題の発見」である。このことは、さらに良い面を強くする課題もあるが、一般に見えていない悪い面の課題を発見することにも用いるべきであろう。その意味での「Meta-Engineering」は、現代の「Engineeringの後から現れるべきもの」であり、これからの文明の行く末にきっと役立つことであろう。そんな期待が膨らんでくる。「すべてが技術化してしまうこの時代の根本にあるもの、その正体を見極めようというのがハイデッガーの思索の最大の課題なのである。」との解釈をした本もある。
ハイデッガーは、その「技術への問い」 の中では、問題提起のみで一切の解答を与えていない。もし、メタエンジニアリングがその正体に少しでも近づけるのであれば、素晴らしいことではないだろうか。