第5話 工学部は何を目指すかという場でのメタエンジニアリング(その2)
工学部は何を目指すか、中島尚正編、東京大学出版会(2000)には、多くのことが書かれている。しかし、メタエンジニアリングの見方からは、やはり大きな疑問を感じざるを得ない。(その1)では結論の部分を引用して、メタエンジニアリングとの関連について述べた。(その2)では各論について検討をしてみよう。
第2章のタイトルは、「21世紀の社会と環境に責任を持つために」であり、ここにメタエンジニアリングとの共通点をみることができる。2,2項は、「社会の人と活動を支え、文化とともに歩む」とある。その中で、工学の概念に関する記述にはこの様にある。(P124からの引用)
「・世界の安定化に貢献する工学の概念
この様な課題に対して、工学の果たす役割はいったいどういうところにあるのだろうか。まず第一の課題として、世界の安定化のメカニズムの理解を工学の分野でも進めることである。安全保障問題は、これまで社会科学系、とくに政治学や経済学の研究対象であった。しかし、これからの工学では、国際社会全体に起きている変化を理解して初めてその役割を論ずることができる。とくに、自然科学/工学研究者を志す学生や研究者が、価値観や哲学の重要性を認識し、みずから研究対象や開発成果が、国際社会の安定化にどのような意味を持つかを考えるような教育が必要となる。」
この記述は、メタエンジニアリングの基本思想に一致をすると考えられる。ここでは安全保障問題が唯一の例として挙げられているが、地球環境問題、原子炉の安全性と信頼性の問題、水の問題など枚挙に事欠かない問題が山積している。現在、これら多くの問題は国際会議の場でも、南北問題や経済問題に阻まれて有効な結論を得ることが困難な状態にある。しかし、何れの問題についても、最終的に根本的な解決策を考えて実行するのは自然科学者と工学者と技術者、つまりエンジニアリングによる社会への実装である。正に「これまで社会科学系、とくに政治学や経済学の研究対象であった。しかし、これからの工学では、国際社会全体に起きている変化を理解して初めてその役割を論ずることができる。」ということだと思われる。しかし、残念なのは、「自然科学/工学研究者を志す学生や研究者が、価値観や哲学の重要性を認識し、・・・」の部分が抽象的な表現でおわっていることである。この前提条件をもっと具体的に追及して、かつ実行しなければ、この議論を力のあるものにすることは不可能であろう。その機能を担うのが、メタエンジニアリングの一つの基本機能であると考える。
更にこの議論を進めるならば、このことは短期的には世界の安定化に貢献するということだが、実は21世紀は更に深刻な問題に直面している。それは、人類の文明の岐路に差し掛かっている現状認識から来る。多くのイノベーションが急速に世界全体に広がって行き、その速度も複雑性も増加の一途である。しかし、哲学的・生物学的に見て間違いなく正しい方向に向かっているのだろうか。そのような設問に直面すると、最早安定化云々を越えて、人類社会の文明の向上と持続性という命題にまで行くべきであるように思う。
なを、先の第3場で示された「提言」は、その後内容がより充実されて、「震災後の工学は何をめざすのか、東大工学系研究科、内田老鶴圃発行(2012.7)」として出版された。
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この中では、想定外の事態に対する脆弱性が問題発生の源であるとして、「レジリアンス工学」の創成が重要視されている。(P340からの引用)
「今回のような震災に立ち向かうためには、災禍の損害から早期の機能回復が可能な技術社会システムを実現するための、レジリアンス工学とも呼ぶべき新分野を確立することが必要となっている。これまでの工学が、どちらかというと「想定内の範囲内だけで考える」工学であったのに対してレジリアンス工学では「想定外のことが起きてもなんとかなるようにする」ための工学である。今回の(震災の教訓として、工学はこうした課題にも取り組むことが必要である。)
と述べられている。更に、その章では、「緊急対応工学の創成」という節が設けられている。
このことは、もちろん必要なことで、何故今までそのような分野が工学として存在しなかったかの疑問が生じた。例えば、航空機用エンジンの設計の際には、この「想定外のことが起きてもなんとかなるようにする」ための設計は、いやというほど色々な工夫を盛り込んでいる。これは、広い意味での予防設計と言える分野かもしれない。そして、その設計のためには、先に述べたように、文化や文明や哲学への絶対的な理解が必要であり、そこにDesign on Liberal Arts Engineeringの原点がある。
ここまで色々な例を述べてきた。結論として感じることは、過去の経験から工学やエンジニアリングが専門知識の範囲だけでの行動が大いに問題有りということだ。その為に、もっと視野を広げよう(俯瞰的)とか、連携を深めよう(境界領域)といった動きが始まったのだが、それ自身がまた専門領域になってしまうと云う現状が見えてくる。このことが過去数十年間繰り返されてきているように思える。
この動きを変えるには、新たな発想としてのメタエンジニアリングが必要であり、それに基づく広義のデザインが、Design on Liberal Artsと考えるわけであるが、いかがなものであろうか。