その場考学との徘徊(43)
題名;古代東国文化(その1)
場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪
作成日;H30.10.5 アップロード日;H30.10.6
徘徊日;H30.9.24
古代日本には、世界最長文明であった縄文時代から、弥生時代を経て古墳時代になる流れがある。その間に、日本列島には、北・西・南から色々な民と文化が流入した。私は、その中で縄文の土偶から古墳の埴輪への流れに興味を持っている。1万年以上続いた文化が、数百年で滅びることはなく、何らかの連続性が存在するはずである。
その場考学との徘徊(21)では、大阪府の今城塚古墳(継体天皇陵墓と考えられている)の有名な埴輪列を訪ねた。今回は、それに匹敵する前橋市近郊の保戸田古墳群を訪ねることにした。
予定では、早朝に東京を出発して、その日は伊香保温泉に宿を予約したので、時間はたっぷりある。先ずは、「群馬の森 歴史博物館」を訪ねた。
公園はかなり広く、全体は見通せない。早朝は、シニアのウオーキングコースになっているようで、何組かの速足のグループを見かけた。昼間は、子供たちの天下なのだろう。
開館時刻よりも30分も早く着いてしまったので、博物館の廻りを散策した。草花の手入れも行き届いている。開館と同時に、一番乗りで入館した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e1/b1d050e64a1f0ee1438f4f55b3eb4253.jpg)
先ずは、VIDEOで事前学習。最近は、どの博物館でもヴィデオが充実して、理解を深めることができる。このあたりの古墳の石は南の牛伏山、天井石は北の天城方面から、埴輪は藤岡の埴輪窯から運んできたとあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/bf/63dd7d742ad1ed8daf2b14e376c5c85e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/4e/1f59ae31cce30ca2523b30f0b0aa0933.jpg)
陳列されている埴輪は、どれも見事な出来栄えで、比較的大型のものが多い。この地方の特徴のようで、規模の大きな埴輪窯に優秀な職人が集められていたとある。また、中小の古墳では未盗掘のものが多く、完全な形の埴輪が出土しているそうだ。勿論、副葬品も多く展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/7b/8e6b7bd387bd3840aba011763d719b4e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f1/428fd79657358b46cce3ab214249c771.jpg)
耳タブにはめる耳飾りも、見事な出来栄えであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/6a/9dced9c0f61f9dcfe70dd7381e52f103.jpg)
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今日は、特別展の「塚廻りの埴輪」を見ることも、一つの目的だった。その展示室は最後にあり、説明員が待機していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/8a/d9b58f2fd4488d7671439a22c877d07f.jpg)
この比較的小さい古墳は、昭和52年の開発工事中に偶然見つかったもので、平坦な耕作地の地中20~30センチという浅いところから発見された。従って、すべてバラバラだったが、うまく復元されている。
座り方の違いによる特徴や、主従の関係もよくわかる。人型埴輪は、当時の生活をありのままに再現しているという説明も、納得できる。面白かったのは、皆が腰に「ポシェット」をつけていることだ、男性の従者も、巫女も同じようなものを身に着けているのだから、中身が何かを創造するのは難しい。私は、ふと武士が常に身に着けていた、印籠を思い出した。薬草でも入れていたのではないだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/36/d87051e103cf513d8b1dab2c136b2439.jpg)
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2時間ほどの滞在で、次の「大室古墳」へ向かった。
題名;古代東国文化(その1)
場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪
作成日;H30.10.5 アップロード日;H30.10.6
徘徊日;H30.9.24
古代日本には、世界最長文明であった縄文時代から、弥生時代を経て古墳時代になる流れがある。その間に、日本列島には、北・西・南から色々な民と文化が流入した。私は、その中で縄文の土偶から古墳の埴輪への流れに興味を持っている。1万年以上続いた文化が、数百年で滅びることはなく、何らかの連続性が存在するはずである。
その場考学との徘徊(21)では、大阪府の今城塚古墳(継体天皇陵墓と考えられている)の有名な埴輪列を訪ねた。今回は、それに匹敵する前橋市近郊の保戸田古墳群を訪ねることにした。
予定では、早朝に東京を出発して、その日は伊香保温泉に宿を予約したので、時間はたっぷりある。先ずは、「群馬の森 歴史博物館」を訪ねた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a8/1f5c176ea5d6b0c90b8cfb207a4c327e.jpg)
公園はかなり広く、全体は見通せない。早朝は、シニアのウオーキングコースになっているようで、何組かの速足のグループを見かけた。昼間は、子供たちの天下なのだろう。
開館時刻よりも30分も早く着いてしまったので、博物館の廻りを散策した。草花の手入れも行き届いている。開館と同時に、一番乗りで入館した。
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先ずは、VIDEOで事前学習。最近は、どの博物館でもヴィデオが充実して、理解を深めることができる。このあたりの古墳の石は南の牛伏山、天井石は北の天城方面から、埴輪は藤岡の埴輪窯から運んできたとあった。
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陳列されている埴輪は、どれも見事な出来栄えで、比較的大型のものが多い。この地方の特徴のようで、規模の大きな埴輪窯に優秀な職人が集められていたとある。また、中小の古墳では未盗掘のものが多く、完全な形の埴輪が出土しているそうだ。勿論、副葬品も多く展示されている。
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耳タブにはめる耳飾りも、見事な出来栄えであった。
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今日は、特別展の「塚廻りの埴輪」を見ることも、一つの目的だった。その展示室は最後にあり、説明員が待機していた。
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この比較的小さい古墳は、昭和52年の開発工事中に偶然見つかったもので、平坦な耕作地の地中20~30センチという浅いところから発見された。従って、すべてバラバラだったが、うまく復元されている。
座り方の違いによる特徴や、主従の関係もよくわかる。人型埴輪は、当時の生活をありのままに再現しているという説明も、納得できる。面白かったのは、皆が腰に「ポシェット」をつけていることだ、男性の従者も、巫女も同じようなものを身に着けているのだから、中身が何かを創造するのは難しい。私は、ふと武士が常に身に着けていた、印籠を思い出した。薬草でも入れていたのではないだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/36/d87051e103cf513d8b1dab2c136b2439.jpg)
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2時間ほどの滞在で、次の「大室古墳」へ向かった。