生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(43)古代東国文化(その1)

2018年10月06日 07時18分25秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(43)          
題名;古代東国文化(その1)

場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪    
作成日;H30.10.5 アップロード日;H30.10.6
徘徊日;H30.9.24

 古代日本には、世界最長文明であった縄文時代から、弥生時代を経て古墳時代になる流れがある。その間に、日本列島には、北・西・南から色々な民と文化が流入した。私は、その中で縄文の土偶から古墳の埴輪への流れに興味を持っている。1万年以上続いた文化が、数百年で滅びることはなく、何らかの連続性が存在するはずである。
 その場考学との徘徊(21)では、大阪府の今城塚古墳(継体天皇陵墓と考えられている)の有名な埴輪列を訪ねた。今回は、それに匹敵する前橋市近郊の保戸田古墳群を訪ねることにした。

 予定では、早朝に東京を出発して、その日は伊香保温泉に宿を予約したので、時間はたっぷりある。先ずは、「群馬の森 歴史博物館」を訪ねた。



 公園はかなり広く、全体は見通せない。早朝は、シニアのウオーキングコースになっているようで、何組かの速足のグループを見かけた。昼間は、子供たちの天下なのだろう。
 開館時刻よりも30分も早く着いてしまったので、博物館の廻りを散策した。草花の手入れも行き届いている。開館と同時に、一番乗りで入館した。




先ずは、VIDEOで事前学習。最近は、どの博物館でもヴィデオが充実して、理解を深めることができる。このあたりの古墳の石は南の牛伏山、天井石は北の天城方面から、埴輪は藤岡の埴輪窯から運んできたとあった。




陳列されている埴輪は、どれも見事な出来栄えで、比較的大型のものが多い。この地方の特徴のようで、規模の大きな埴輪窯に優秀な職人が集められていたとある。また、中小の古墳では未盗掘のものが多く、完全な形の埴輪が出土しているそうだ。勿論、副葬品も多く展示されている。





耳タブにはめる耳飾りも、見事な出来栄えであった。




今日は、特別展の「塚廻りの埴輪」を見ることも、一つの目的だった。その展示室は最後にあり、説明員が待機していた。




この比較的小さい古墳は、昭和52年の開発工事中に偶然見つかったもので、平坦な耕作地の地中20~30センチという浅いところから発見された。従って、すべてバラバラだったが、うまく復元されている。
座り方の違いによる特徴や、主従の関係もよくわかる。人型埴輪は、当時の生活をありのままに再現しているという説明も、納得できる。面白かったのは、皆が腰に「ポシェット」をつけていることだ、男性の従者も、巫女も同じようなものを身に着けているのだから、中身が何かを創造するのは難しい。私は、ふと武士が常に身に着けていた、印籠を思い出した。薬草でも入れていたのではないだろうか。





2時間ほどの滞在で、次の「大室古墳」へ向かった。