生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(45)古代東国文化(その3)

2018年10月11日 07時54分45秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(45)
題名;古代東国文化(その3)

場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪    
作成日;H30.10.10 アップロード日;H30.10.11
徘徊日;H30.9.24
 
その場考学との徘徊(43)では、「群馬県立 歴史博物館」を、(44)では、そこから東北にあたる「岩宿遺跡」を訪ねた。今回は、最後の、そして第1目標であった「かみつけの里」
 ここは、古代の噴火で火山灰に埋もれた埴輪の列が、数年前にそのままの形で発掘され、有名になった所だ。
ここには、保渡田古墳群と称する3つの大型の前方後円墳が集まっている。、いずれも墳丘長が100mもあり二重の濠を巡らし、多量の埴輪が発掘されている。墓廻りに並べられた円筒埴輪だけでも6000個にのぼる。                                             
 中でも、八幡塚古墳は、築造当時のままに復元されおり、埴輪列はその前面にある。先ずは、案内板で全体の位置関係を確認した。墳丘の頂上越しに、榛名富士の頂上が見えるのは、意図的なのだろうか。




墓に埋葬されているのは、5世紀後半に榛名山南東地域一帯を治めた豪族の車持氏(くるまもち)の一族で、一帯は車郡(くるまさと)と呼ばれていたそうだ。それが現在の群馬県(当初は「群馬=くるま」)という県名になったそうだ。園内には、保渡田古墳群のほか、かみつけの里博物館、はにわ工房、はにわ窯、のほかに群馬県立土屋文明記念文学館、土屋文明歌碑、山村暮鳥詩碑などあるが、今回は、八幡塚古墳と博物館に絞った。 ちなみに、榛名富士については、このような看板があった。




榛名山は、姿は美しいが、多くの頂上を持つ、とても複雑な山だ。 その歴史は、『山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士溶岩ドーム(標高1,390.3 m)がある。495年頃(早川2009)と約30年後に大きな噴火をしたと見られている。中央のカルデラと榛名富士を最高峰の掃部ヶ岳(かもんがたけ 標高1,449 m)、天目山(1,303 m)、尖った峰の相馬山(1,411 m)、二ッ岳(1,344 m)、典型的な溶岩円頂丘の烏帽子岳(1,363 m)、鬢櫛山(1,350 m)などが囲み、更に外側にも水沢山(浅間山 1,194 m)、鷹ノ巣山(956 m)、三ッ峰山(1,315 m)、杏が岳(1,292 m)、古賀良山(982 m)、五万石(1,060 m)など数多くの側火山があり、非常に多くの峰をもつ複雑な山容を見せている。』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%9B%E5%90%8D%E5%B1%B1#/media/File:Mount_Haruna_Mountaintop_Relief_Map,_SRTM-1,_Japanese.jpgより。
まさにこの時の噴火で埴輪列が埋まってしまったのではないかと、想像される。
 
先ずは、埴輪列を眺め、それから古墳の頂上に上ることにした。列の構成は、大阪の継体天皇陵にあるものと、ひどく似ている印象だった。






 頂上の眺めは、360°素晴らしかった。周りを囲む4つの「中島」と称されるものも、よく見ることができた。また、頂上から真下にある石棺へ下る階段があった。
 
下って、駐車場を横切って「かみつけの里博物館」へ向かった。館内には、「よみがえる5世紀」、「王の館(三ツ寺遺跡)を探る」、「王の姿を探る」、「王の墓を探る」、「広がる小区画水田」、「火山灰に埋もれたムラ」、「海の向こうからきた人たち」、「埴輪に秘められた物語」、「埴輪の人・動物・もの」という9つのコーナーがあり、かなり見ごたえがあった。三ツ寺遺跡は、日本で初めて発掘された古代(5世紀後半〜6世紀始め)の豪族の館跡との説明があった。上越新幹線の工事中に発掘され、今では新幹線の高架下に眠っているそうだ。
 私が、最も興味を持ったのは、「古代のかまど」だった。どうも高句麗からの渡来人によって、馬の飼育とともにこの地方に直接に伝えられたらしい。土器を2重に重ねて、下の土器には水を張り、上の土器の底には、蒸気を通すための孔が開いている。
                       
 ここでは、埴輪も眼近に見ることができる。出来栄えは、なかなか良い。家形埴輪の時代ごとの変遷が示されていた。具体的な形から、抽象的な形への推移が明確に表れている。1万年以上続けられた、縄文土器の変遷にも、関連が考えられる。




 1時間余の滞在で、今夜の宿の伊香保温泉に向かった。途中は、果物畑が続いたが、突然に「相馬が原飛行場」の看板のある道に入ってしまった。自衛隊の基地なのだが、ナビは中を通過するように指示している。辺りに人影は全くなく、仕方なく中へ入ってゆくことした。



Google Mapで見ると、確かに立派な滑走路がある。
2001年に作られたたようで、まだ新しい施設のようだ。

途中に、「水澤観音堂」ああった。無料公開中とあったので、寄り道をして、坂東88か所のご本尊を拝ませていただいた。宿は、伊香保温泉で唯一洋室専門の宿、松本楼の別館だった。あの有名な日比谷公園の松本楼とは、資本関係は無いが、シェフがのれん分けをしてもらったそうだ。夕食のフランス料理に期待。