その場考学との徘徊(44)
題名;古代東国文化(その2)
場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪
作成日;H30.10.6 アップロード日;H30.10.7
徘徊日;H30.9.24
その場考学との徘徊(43)では、「群馬県立 歴史博物館」をめぐった。今回は、そこから東北にあたる「岩宿遺跡」を訪ねた。
「群馬県立 歴史博物館」から東北に向かうと、「大森古墳群」に遭遇する、ここも大規模な公園と埴輪館があるのだが、今回は園内の一部を見るだけにとどめた。
11:25 大室古墳 前橋市西大室町2545 大室公園内
北側の駐車場に入ったが、古墳の山がいくつかあるだけで、説明がない。広場があるが、肝心の「埴輪館」は見えない。時間が遅れ気味になったので、写真を数枚撮り、15分ですぐに退散した。
12:01 -13:15 岩宿
先ずは、全体の印象から。岩宿遺跡は、勉強になった。日本に旧石器時代があった証明の起源。すぐ近くの発掘現場も、VIDEOが楽しめた。それにしても、本物の地層は迫力がある。浅間山の噴火の間に、姶良カルデラからの火山灰が、はっきりと残っている。
駐車場は広く、人影はない。道路の向こうに変わった形の建物が見えたので、先ずはそこへ向かった。
最初にお目にかかるのは、「マンモスの全体骨格」だった。発掘に関する説明は気が付かなかったが、「MANMMOTH TOUCH証明書」なるものが置いてあり、日付が入っていた。マンモスを追って、人がこんな火山灰の土地までやってきたということなのだろう。館内は閑散としていて、埴輪館と比べると、少し寂しかった。
案内の女性に尋ねると、少し離れた実際の発掘現場にも小さな駐車場があり、「説明はそちらの方でやっています」と、丁寧に教えてくださった。その一言が無かったら、お宝を見逃すところだった。
100メートルも走っただろうか、駐車場はすぐに見つかった。木陰になっているので、聞いていなかったら、見逃す小ささだ。道を挟んで、看板やら石碑がある。
昭和21年に、ここで旧石器時代の石器を日本で最初に発見をした、「相沢忠洋」さんの胸像まである。
道を戻ると、目の前に石垣に囲まれた入り口が見えた。表示はないのだが、どうもここが「説明のある場所」らしい。薄暗いのだが、入ってみることにした。
中はさほど広くないのだが、スクリーンと座席がある。女性が出てきて、「ヴィデオをご覧になりますかとおっしゃる。早速にお願いをした。どうも、ここまで入ってきて、ゆっくりする人はあまりいないようだ。
ヴィデオを見て、ようやく状況がわかった。この建物は、道の反対側の地層をはぎ取って、ガラス越しに観察できるようになっている。古代の浅間山からの噴火の後が何層もあり、中に「姶良火山灰」という地層がある。鹿児島湾の噴火がここまで影響したのだから、九州の縄文人が一時期滅んだことも納得できる。
立派な冊子があったので、購入してゆっくりと勉強をすることにした。
ヴィデオの内容はパネル展示もされていた。このドームの作り方がよくわかる。
1.先ずは、丘の一部を削って、地層を貼り付けられるだけの垂直の面を確保する。
2.それから、実際の地層(断層面)を薄くはぎ取ったものを、そこに張り付ける。
3.それをガラスで多い、その前面に見学用のドームをつくる。
4.ドームを土で覆い、石垣で固めて、入り口をつくる。
5.中に、ヴィデオ用のスクリーンと客席をつくる。
随分と、手の込んだ作業をしたものだと感心した。
パンフレットの類も充実しており、楽しめる場所だった。
購入した冊子は、中身が充実しており、改めて「メタエンジニアの眼」で紹介してみたい。
題名;古代東国文化(その2)
場所;群馬県 テーマ;古墳と埴輪
作成日;H30.10.6 アップロード日;H30.10.7
徘徊日;H30.9.24
その場考学との徘徊(43)では、「群馬県立 歴史博物館」をめぐった。今回は、そこから東北にあたる「岩宿遺跡」を訪ねた。
「群馬県立 歴史博物館」から東北に向かうと、「大森古墳群」に遭遇する、ここも大規模な公園と埴輪館があるのだが、今回は園内の一部を見るだけにとどめた。
11:25 大室古墳 前橋市西大室町2545 大室公園内
北側の駐車場に入ったが、古墳の山がいくつかあるだけで、説明がない。広場があるが、肝心の「埴輪館」は見えない。時間が遅れ気味になったので、写真を数枚撮り、15分ですぐに退散した。
12:01 -13:15 岩宿
先ずは、全体の印象から。岩宿遺跡は、勉強になった。日本に旧石器時代があった証明の起源。すぐ近くの発掘現場も、VIDEOが楽しめた。それにしても、本物の地層は迫力がある。浅間山の噴火の間に、姶良カルデラからの火山灰が、はっきりと残っている。
駐車場は広く、人影はない。道路の向こうに変わった形の建物が見えたので、先ずはそこへ向かった。
最初にお目にかかるのは、「マンモスの全体骨格」だった。発掘に関する説明は気が付かなかったが、「MANMMOTH TOUCH証明書」なるものが置いてあり、日付が入っていた。マンモスを追って、人がこんな火山灰の土地までやってきたということなのだろう。館内は閑散としていて、埴輪館と比べると、少し寂しかった。
案内の女性に尋ねると、少し離れた実際の発掘現場にも小さな駐車場があり、「説明はそちらの方でやっています」と、丁寧に教えてくださった。その一言が無かったら、お宝を見逃すところだった。
100メートルも走っただろうか、駐車場はすぐに見つかった。木陰になっているので、聞いていなかったら、見逃す小ささだ。道を挟んで、看板やら石碑がある。
昭和21年に、ここで旧石器時代の石器を日本で最初に発見をした、「相沢忠洋」さんの胸像まである。
道を戻ると、目の前に石垣に囲まれた入り口が見えた。表示はないのだが、どうもここが「説明のある場所」らしい。薄暗いのだが、入ってみることにした。
中はさほど広くないのだが、スクリーンと座席がある。女性が出てきて、「ヴィデオをご覧になりますかとおっしゃる。早速にお願いをした。どうも、ここまで入ってきて、ゆっくりする人はあまりいないようだ。
ヴィデオを見て、ようやく状況がわかった。この建物は、道の反対側の地層をはぎ取って、ガラス越しに観察できるようになっている。古代の浅間山からの噴火の後が何層もあり、中に「姶良火山灰」という地層がある。鹿児島湾の噴火がここまで影響したのだから、九州の縄文人が一時期滅んだことも納得できる。
立派な冊子があったので、購入してゆっくりと勉強をすることにした。
ヴィデオの内容はパネル展示もされていた。このドームの作り方がよくわかる。
1.先ずは、丘の一部を削って、地層を貼り付けられるだけの垂直の面を確保する。
2.それから、実際の地層(断層面)を薄くはぎ取ったものを、そこに張り付ける。
3.それをガラスで多い、その前面に見学用のドームをつくる。
4.ドームを土で覆い、石垣で固めて、入り口をつくる。
5.中に、ヴィデオ用のスクリーンと客席をつくる。
随分と、手の込んだ作業をしたものだと感心した。
パンフレットの類も充実しており、楽しめる場所だった。
購入した冊子は、中身が充実しており、改めて「メタエンジニアの眼」で紹介してみたい。