で、今くらいの季節の関心ごととなりますと、燕です。あちこちから、燕に関したちょっとしたニュース(話題)を、耳や目にすることがあるのではないかなあと想像しているのですが、いかがでしょうか。「え〜そんなんあった?」な感じのヒトにはもう少し、前向きな関心を持ってもらえたらなあ…と願っているところです。
この間は、銀座での話をテレビで見ました。子育てする燕の数が、一時期減っていたのに最近増加しているとかで、それは銀座で始めた養蜂が関係しているのでは? とのことでした。燕さんたち、蜂蜜用に飛ばしている蜂たちをちゃっかりいただいてしまっているとかいないとか…。ふふふ。
その他にも、燕の集団団地があるビルや民家などに、今年も燕たちが姿を見せた、とか、過去には、工事しようと思っていた建物に、燕が巣を作ってしまったので巣立ちまで工事開始を待った話とか、を聞いたことがあります。TVのナニコレで見たのは、家の中に燕たちがいくつも巣を作って子育てしている中で、工夫しながら生活している家族とかでした。(こういう話題に触れると、自動的に気持ちがハイになってしまいます)
一方で、実は燕の巣は壊されてしまうことが多い…ということを身を持って知っていて、そういう現場に居合わせた時は、帰り道の足取りがドット重くなります。新聞やニュースなどで取り上げられるのは、ニンゲンが燕に優しくしている話が多いと思います。
近所の話になりますが、ここ数年、燕が巣を作っていた場所が年々減っていっているのを目撃していまして、あああああ…とヒトリガッカリしています。
スーパーの裏口側や、ドラッグストアの監視カメラの上にあった燕の巣。民家の玄関口の、ライトの下にあった燕の巣。お店の柱に、下が花壇になっていてフンの始末をしなくて済んだ燕の巣。銀行の駐車場の奥にあった燕の巣。
建物自体が無くなってしまう、ということも多いです。車庫用だったのか、小さい建物のシャッターの上にあった燕の巣。商業施設の搬入口にあった、優しい管理人さんに守られていた燕の巣。ガソリンスタンドの、作業場の奥にあったらしき燕の巣。昔ながらの文房具屋さんの軒先にあった燕の巣…ここも建物が壊されていて新築の家が建っていました。
まあ例えこの辺りで巣が作れなくても、他の様々な地域や場所で、割合と多くの燕の巣を見たことがあるので、他の場所で上手くやってくれているといいなあとか祈るような気持ちで空を眺めたりしていますが。
でも普段から接していないと、こういう小さな自然であってもそばにないと、忘れられてしまって実感も無くなってしまうと、自然への親しみも薄れていってしまうのではないか…と、勝手にヤキモキと気を揉んでいます。
それと、鳥の繁殖を目の前で観察できる、という貴重な機会でもあるのじゃないかなあ、と思います。普段そばで暮らしている雀の巣や子育て中の様子とかを、案外見る機会無いと思いませんか。
ただそんな中、この間「チコちゃんに叱られる!」で、燕のことが取り上げられているのを観て、ああ良かった…と思いました。チコちゃんが叱ったことで、燕の巣か、どうしよう、とか考えてたヒトが、「チコちゃんに叱られちゃうしな〜」と考え直して、巣立ちまでちょっとフンの掃除をしながら(すみませんありがとうございます、とお礼を言います)、ま、見守るというか、そうっとしとくか、と思ってもらえるといいなあと思っています。
別に何があるワケでも代弁者なワケでも無いのですが…。普段思っていた燕のことを、簡単ではありますが、初めて活字、じゃない、文字にしてみました。読んじゃった方、ありがとうございました〜!
*I’m not sure if my English grammars are correct.
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