私の父親の血液型はO型。そして母親もO型。
そして私達、子供たちも全員O型である。
そう、そうでなければおかしい。
確かにO型であった。
20才になるまで血液検査の結果で出たO型をずっと信じてきた。
が、
ある日、突然、貴方は『B型です。』と言われた。
晴天の霹靂である。
普通の検査では出ない隠れB型という血液型らしい。
しかし、問題は、、、
両親は二人O型。
B型の子供はありえない。。。
いいさ、もう大人だから、そういう事もあるさ。
全て受け止めよう!
と、自分一人の胸にしまっておいた新血液型の事実。
だが、ほどなく、やはりO型と言われ続けていた姉が突然、
実は『B型』と判明した。
私と一緒の隠れB型だ。
そうなると、、、
間違いなく、両親のどちらかが私らと同じ血液型のはず。
どっちか?
それは火を見るより明らかだ。
母親以外にありえない。
母親の行動は、正にB型以外の何者でもない。
世の中で忌み嫌われるB型そのもの。
なのに、母親のやつは未だに自分がO型だと信じて疑っていない。
それが無性にくやしい。
私らがB型の汚名?を受け止めたのに、一番、B型人間そのものの
あんたが、未だに知らん顔してるのが。
先日、母親が入院した。
大腿骨の骨折とかで手術も本日無事終わった模様。
母親の骨折はこれで2度目。
1度目は、両足の足の甲を骨折。
自宅でお客様をもてなしていて、帰ろうとしたお客様を
立ち上がってお見送りしようとした、その瞬間。
ガラガラガラ!
と隣のガラス戸にすさまじい音を立て、崩れさっていった母。
「痛たたた、痛たたた、足しびれちゃったよ。。。」
と、しびれて感覚のない足で無理に立ち上がった母は足の甲で床の上を歩き、
その際、両足の骨を骨折。
そして今回の骨折は、大晦日、床にワックス掛けをしようと、
父親がばら撒いた液体ワックスの上を歩いて、すってんころりん。
どうして、毎回ギャグのような怪我の仕方をするのであろう?
大怪我をして本来なら同情すべきはずが、微塵もそんな気が起きない。
一応、姉に連れられてお見舞いにいったものの、行く気は全くなかった。
そして、年金暮らしの毎日ヒマなはずの父親も毎日お見舞いに行っているのかと思いきや、3日に1回しか顔を出さないらしい。
そして、手術の日の今日も、趣味のカラオケが忙しいらしく、
手術に立ち会えないと、拒絶して医者に
「家族が手術に立ち会わないなんて前代未聞だ!」
と驚かれたようだ。
そんな家族なのだ。
私の育った家族というものは。
家族が助け合う。
だの、
暖かいもの。
なんてものであるなんて社会に出て知った。
他所の家庭はそうなんだ?と。
自分にとって家族というのは、一番厳しい競争社会なのだ。
なんて話を新しい会社で知り合った同僚に話した後で、
その女の子の母親は、高校生の時に病死した、と知った。
やばいなぁ。
なんで最初に相手の家族のことをちゃんと知ってから、家族の話をしなかったんだろ。
うかつな自分の言動を反省。
散々、家族というものに悪態ついちゃった。
彼女は、母親の事を思い出して涙ぐんでいた。
高校生の時に親を亡くしたという人に出会うのは彼女で二人目。
同じコトを言っていた。
「あの時、自分がもっと親に優しくしてあげれれば。」
高校生の時の自分の親に対する反抗的な態度をとってるうちに親は死んじゃった。
もうやり直せない。
ずっとずっと消せない後悔。
でも仕方ないよ。
だって高校生って、そういう時じゃん。
親に一番素直になれない、そういう頃。
だから、ずっと自分を責め続けるのは、もうやめようよ。
親に対する色んな確執。思い。
人それぞれ戦っているんだ。
そして、今日、彼女が涙目で語った言葉が、
私の頭の中で反響してます。
「自分が子供産んで母親と親として色んな話をしたかった。」
無くなってしまった未来の風景。
喪失か。。。
そして私達、子供たちも全員O型である。
そう、そうでなければおかしい。
確かにO型であった。
20才になるまで血液検査の結果で出たO型をずっと信じてきた。
が、
ある日、突然、貴方は『B型です。』と言われた。
晴天の霹靂である。
普通の検査では出ない隠れB型という血液型らしい。
しかし、問題は、、、
両親は二人O型。
B型の子供はありえない。。。
いいさ、もう大人だから、そういう事もあるさ。
全て受け止めよう!
と、自分一人の胸にしまっておいた新血液型の事実。
だが、ほどなく、やはりO型と言われ続けていた姉が突然、
実は『B型』と判明した。
私と一緒の隠れB型だ。
そうなると、、、
間違いなく、両親のどちらかが私らと同じ血液型のはず。
どっちか?
それは火を見るより明らかだ。
母親以外にありえない。
母親の行動は、正にB型以外の何者でもない。
世の中で忌み嫌われるB型そのもの。
なのに、母親のやつは未だに自分がO型だと信じて疑っていない。
それが無性にくやしい。
私らがB型の汚名?を受け止めたのに、一番、B型人間そのものの
あんたが、未だに知らん顔してるのが。
先日、母親が入院した。
大腿骨の骨折とかで手術も本日無事終わった模様。
母親の骨折はこれで2度目。
1度目は、両足の足の甲を骨折。
自宅でお客様をもてなしていて、帰ろうとしたお客様を
立ち上がってお見送りしようとした、その瞬間。
ガラガラガラ!
と隣のガラス戸にすさまじい音を立て、崩れさっていった母。
「痛たたた、痛たたた、足しびれちゃったよ。。。」
と、しびれて感覚のない足で無理に立ち上がった母は足の甲で床の上を歩き、
その際、両足の骨を骨折。
そして今回の骨折は、大晦日、床にワックス掛けをしようと、
父親がばら撒いた液体ワックスの上を歩いて、すってんころりん。
どうして、毎回ギャグのような怪我の仕方をするのであろう?
大怪我をして本来なら同情すべきはずが、微塵もそんな気が起きない。
一応、姉に連れられてお見舞いにいったものの、行く気は全くなかった。
そして、年金暮らしの毎日ヒマなはずの父親も毎日お見舞いに行っているのかと思いきや、3日に1回しか顔を出さないらしい。
そして、手術の日の今日も、趣味のカラオケが忙しいらしく、
手術に立ち会えないと、拒絶して医者に
「家族が手術に立ち会わないなんて前代未聞だ!」
と驚かれたようだ。
そんな家族なのだ。
私の育った家族というものは。
家族が助け合う。
だの、
暖かいもの。
なんてものであるなんて社会に出て知った。
他所の家庭はそうなんだ?と。
自分にとって家族というのは、一番厳しい競争社会なのだ。
なんて話を新しい会社で知り合った同僚に話した後で、
その女の子の母親は、高校生の時に病死した、と知った。
やばいなぁ。
なんで最初に相手の家族のことをちゃんと知ってから、家族の話をしなかったんだろ。
うかつな自分の言動を反省。
散々、家族というものに悪態ついちゃった。
彼女は、母親の事を思い出して涙ぐんでいた。
高校生の時に親を亡くしたという人に出会うのは彼女で二人目。
同じコトを言っていた。
「あの時、自分がもっと親に優しくしてあげれれば。」
高校生の時の自分の親に対する反抗的な態度をとってるうちに親は死んじゃった。
もうやり直せない。
ずっとずっと消せない後悔。
でも仕方ないよ。
だって高校生って、そういう時じゃん。
親に一番素直になれない、そういう頃。
だから、ずっと自分を責め続けるのは、もうやめようよ。
親に対する色んな確執。思い。
人それぞれ戦っているんだ。
そして、今日、彼女が涙目で語った言葉が、
私の頭の中で反響してます。
「自分が子供産んで母親と親として色んな話をしたかった。」
無くなってしまった未来の風景。
喪失か。。。