茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

O嬢。

2012-04-24 20:56:54 | Weblog
たまにその人と間違われて、
ワタシは嬉しいぞ!
という、職場の同僚、O嬢。

間違えられるのは年が近いからかしらぁ・・?
ぐらいしか思いつかないが、
とにかく素敵な女性。

「魅力的」いや「魅惑的」
という言葉は彼女にぴったりの言葉だ。

細いスレンダーな肢体に、いつもセンスのよい服を身につけ、
普段クールな表情の彼女が、
何かの話題を話し始めるときに、
パっと目元に愛くるしい笑みを浮かべる。

宮崎葵ちゃん似のその笑顔になった瞬間、
女の私も、ハートをつかまれるぐらい
美しい笑顔。

ボケてしまった義母の介護をしながら仕事してる彼女だが、
愚痴ることは全くなく、
仕事を始めたきっかけも、介護だけだと息づまるから、
気晴らしに、というような理由だったと記憶してるが、
仕事はキチンと手を抜かず責任感を持って仕事しているし、
家ではきちんと手作りの料理を色々作っているようで、
昨年のクリスマスには、いつも作っているという、
バントーネ?とかいう、クリスマスに欠かせないお菓子を
持ってきてくれたが、とっても美味かったぞ。

趣味でカナディアンカヌーをたしなんでいるらしく、
家族で、どこどこの川に行っただの、湖に行っただの
言っており、
彼女の家の子供は本当に幸せだなぁ、、
美味しい手作り料理は作ってくれるし、
休みの日は、こんな趣味で家族と過ごしてくれるし。

こんな彼女のご主人はさぞ素敵な人に違いない!
と日頃思っていたが、
先日とうとう会う機会があった。

怪我した私を不憫に思った彼女が
雨の日、遠い駐車場まで歩くのは大変でしょう、、、
と、迎えに来ていたご主人の車で、
会社から駐車場まで送ってもらったのだ。

このさり気ない優しさも、さすが彼女だ。
恥ずかしいから、ご主人の顔は見ないでね、
という彼女の言いづけ通り、顔はあまり見ないようにしたが、
話をした声と、しゃべり方で、
やっぱり!!!
素敵な男性であることがよくわかった!

やっぱり魅力的な女性のパートナーな魅力的な男性なのね。
と、納得。

と、相変わらずまとまりのないワタシのブログ。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活感。

2012-04-24 20:16:27 | Weblog
家の近くに大規模な団地がある。
私はこの団地の中を通って歩くのが好きで、近隣へ買い物へ行くときは、
わざわざ、この団地の中を通って歩く。

何が好きって、この団地の中を通ると、
そこに住む多くの人の生活感を感じられること。

お布団や洗濯物を干していたり、部屋の中からの
人の話し声や、テレビの音、
そして時には、部屋の中の様子も伺える。

晴れた日には、何となく、のんびりと過ごしている、
人々の営みがそこに感じられる。

団地内の敷地は、ゆったりと広く、
運動場や、プールや、ブランコやベンチがある。

でも、昼間そこを通っても、子供の姿はそう多くはない。
やはり高齢化で、この団地の世帯は、若い人は多くはないんだろう、
と推測される。

建物の脇にはチューリップや、色々な草花が植えられている。
たぶんそれは入居者が勝手に植えているものだと思われる。
へぇ、この花がもう咲く季節なんだ?
などと、花々を楽しみながら、
人々の生活してる息づかいを感じながら、
この団地を歩くのが大好きなのだ。

昔、インテリアの勉強をしてたときに、
課題で各自、自分の提案するリビングルームのプレゼンをしたとき、
生徒のほとんどが
「生活感のない、」
をキーワードにリビングを提案したものだから、
先生が激怒し、
「リビング=生活感なのだ。それを排除するとは根本から間違っている!」
ということを言われた。

ただ当時、流行りは「生活感のないリビング」がお洒落だったのだ。
だから猫も杓子も、生活感のなりリビングしか考えつかなかったのだ。

そんなリビングに生活感を排除することが、かっこいいと思った私も、
今や「生活感」というものをあちこちに追い求める。

だって、世の中のあちこちに実は
この「生活感」という言葉がちりばめられているんだもの。

いつも通る、通勤路、一戸建てのお洒落なお家。
でも、いつも、いつも、人が本当に住んでない気がして、
あるゆるサインを探してしまうのだ、
生活感のサインを。
洗濯物だとか、ちょっと猥雑に散らかしている、庭の道具とか。
相変わらず、それは感じられず、
いつもいつも、綺麗なのだ。
ガーデンチェアが映画の撮影のように置かれていて。

生活感=人が生きている物的証拠。
と、私は考える。
その人が生きていることを物で表しているのが
その人の部屋と。

読みかけている本が机に転がっていたり、
脱いだままの服が散らかっていたり、
最近の出来事の写真があったり、
その部屋を見れば、その人の生きている息づかいを
そのまま感じられる。

ただ唯一、そこに齟齬を感じるのは、
事故などで突然この世から去ってしまっていった人の部屋。
死を受け入れられない両親がそのままにしているという
その部屋を映像で流されるのを見たとき、
今、まさにその部屋に帰ってきそうな、
そんな生活感のリアルティがそこに残っている。

他所の家にお招きにあずかったときの客間に
茶ダンスに外国土産と思われるブランダーが置いてあったり、
その上に、東北土産と思われるこけしが置いてあったり、
そんな様々な物が決して整然としているのでなく、
ごちゃごちゃと飾ってある。
その横には、請求書の手紙や、
今ではあまり見ないフリフリのカバーのかけられた電話機とか、
その人の普段の生活がかいま見れるのが、
私はけっこう好き。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする