ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「認知症とその介護。」

2024-09-22 18:00:22 | 日記

私と兄はずっと不仲だったワケじゃありません。私が小五ぐらいの頃に家族全体の会話が無くなり、兄は大学卒業、私は高校卒業を機に実家を離れ、顔を合わすのは年末年始の帰省時ぐらいになったけど相変わらずノー・コミュニケーション。

変化が訪れたのは私が30歳を越えた頃。理由は単純で、年末年始に家族が集まったときの沈黙に、私が耐えられなくなったから。

ずっとパソコン相手の仕事をしてる兄とは対照的に、私は仕事にせよ趣味にせよ多くの人間と関わらざるを得なくなり、そのお陰である程度の“コミュ力”を身につけたワケです。

兄とは分野は違えど“オタクである”という共通点があり、それを糸口にして私から歩み寄り、仲良しとまではいかないまでも「まあフツー」と言えるぐらいの兄弟仲には修復できました。



それが再び悪化したのは、常連読者さんならよくご存知のとおり、私が両親の介護を一手に引き受けるようになってから。

そのこと自体は「自分で選んだ道」なので、兄が一切ノータッチでも不満は無かったです。最初の頃は。

けど、介護がハードになるにつれ、兄がノータッチである以前に「無関心」であることにストレスが溜まり、いよいよ父が亡くなって喪主となった私を、こっちから頼まない限りいっさい手伝おうとしない兄の徹底した「ノータッチX無関心=まったくの他人事」ぶりに私のマグマが大噴火し、更にその延長線上でも色々あって、私の中ではもう兄は「最初からいない」ことになってます。存在すると思う=助けや慰めを期待するから裏切られるワケで。



とはいえ、認知症の後期高齢者が身近にいない人に、その介護がどれほどハードであるかを想像してもらうのは、いくら言葉を尽くしたところで100%ムリ。自分で経験しないと絶対に解らない。

今回の記事は、「そういや介護がハードだハードだと今までしつこく書いて来たけど、それがどうハードなのか、なぜハードなのかを具体的には書いて来なかったな」と気づき、知らない人に少しでも解ってもらおうと思い立って書き始めたのですが……

やっぱり、お互い気が滅入りそうだし、物凄い長文になるだろうし、もう既に疲れちゃったんでやめときます。

これから介護に関わりそうな人は実際に経験すれば解るだろうし、関わらなくて済むならそれに越したことはない。

ただ、うちの兄みたいに「無関心」を貫くのだけはやめて欲しいです。それじゃ自宅で介護してる人や施設で働いてる人たちの苦労が浮かばれません。

その両方を兼ねてる私の体重が10kg近く減り、頭髪も一気に波平化した。そして職場では同僚が次々と辞めていく。その事実だけでじゅうぶん何かが伝わるかと思います。

兄が無関心を貫いてるのは、たぶん罪悪感を背負うのが怖いから。こちらとしては、罪悪感なんか持たなくていいから関心を持ってくれ!って思いなんだけど。(誰しも早死にしない限り、いつか必ず介護される立場になるんだから、自分の為にも関心は持っておくべき)



ちなみに今日、お彼岸の法要で宗教の人に「もうお金を出せないから今回限りにして下さい」とハッキリ言いました。

先方は「そんなに高い金額は要らない、気持ちだけでいいんだと、前から言うつもりが機会を逸してた」という旨で謝罪し、今回の分はサービスしてくれました。(その“気持ち”につけ込むのが宗教家や葬儀屋のタチの悪さだと学びました。無知だった私の自業自得です)

あわよくばそのまま受け取り続ける気だったのはミエミエだけど、人としては話しやすいお婆さんで嫌いじゃないし、いずれ母の葬儀でもお世話になるだろうから、今後は本当に“気持ちだけ”の金額を包む前提で法要は続けてもらうことにしました。

信仰心がほぼ無い私の“気持ちだけ”は本当に低い金額になるけど、もしバチが当たるなら今の状況こそがそうだろうと思うんで、怖くはありません。


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