ホントにあっという間に2022年が終わろうとしてますが、まさに師走らしい日々を過ごしてます。
夜遅くまで宅配業やってるけど「ブラック企業ってワケじゃない」って、ちょっと前の記事に書きましたが、あれから急激に会社がブラック化してしまい、従業員一同、非常にヤバい状態になってます。
その辺の詳しいことは、またいつか書くとして、私は今、会社を辞めることを真剣に考えてます。ていうかすでに辞表を出したんだけど、保留にされてる状態。
辞めたい理由はごくシンプルで、体力がついて行かないから。ここでもし身体を壊して障害を負ったりした日にゃあ、残りの人生が台無しになりますから、迷いはありません。
とはいえ、この歳で転職となるとそれはそれでキツいので、アルバイトのポジションにシフトすることで配達量を減らせないかとか、いろいろ交渉してます。
今はとにかく、仕事量がこれまでの倍近くになっちゃってるので、帰宅時間も遅くなるしブログを書く気力も無い。
それに加えて認知症の母の世話と、亡くなった父の相続手続きやら法事の準備やらですから、久々に血尿が出ててマジやばいです。血尿の原因は持病の腎臓結石だけど、これもストレスで動き出しますから。
会社ではアホの支店長と対立し、以前「推し」てた同僚女子とも険悪になり、まさに四方八方ストレスだらけ。
だから一時は不眠症にもなりかけたけど「よし、辞めよう!」って決めたらスッキリして眠れるようになりました。
私にとって今年は「別れ」の年になりそうです。父と死別し、渡辺徹さんも亡くなり、推してた同僚女子とは口も聞かなくなって、15年近く勤めた会社ともオサラバしそうという……
救いはKTさんと公開イチャイチャ出来たことぐらいですよ、ホントに。モデルガンをいっぱい買えたのも良かったけど、それはまぁ頑張って働いた報酬ですから。しかし来年からそうはいかなくなっちゃいそう。
そんな今日この頃です。と言いつつレビュー記事の準備はちょっとずつ進めてますが、いちいち手間と時間がかかるもんで、ペース良く更新出来ないワケです。
だから毎日ブログを更新する為にも、一刻も早くプータローにならないと!
映画やドラマの「倍速視聴」が一般化しちゃった原因の1つに、何でもかんでもセリフで解りやすく説明しちゃう作品が増えたから(その代表格が『相棒』『ドクターX』『半沢直樹』等のヒット作)ってのもあるみたいです。
つまり、セリフさえ聴いておけば内容がすべて把握できるので、倍速(音声付き)でも「ながら見」でも全く問題なし!ってな理屈。
だから創り手のせいでもあるし、創り手がそうなったのは(解りにくい作品を敬遠する)観客や視聴者のせいでもある。
正確に言えば、観客や視聴者に媚びを売るため、過剰な解りやすさを創り手に強要するスポンサー(製作委員会)連中が諸悪の根源と言えそうです。
が、そもそも視聴者の側にもっと理解力や想像力があれば、スポンサー連中もそんな忖度はしなくて済んだはず。
私自身、ブログを書くとき、誰が読んでも正確に意味が伝わるよう、かなり気を使うように(知らず知らずの内に)なっちゃいました。
それは過去に何度か、ブログに書いたことを誤解、あるいは曲解した読者さんから的外れな指摘を受けたり、トンチンカンな説教を受けたりした経験がそうさせてるワケです。
比喩とか逆説が通じない人がいる。イヤよイヤよも好きのうちが解らず、なんでイヤなんだっ!?と怒る人が世の中には沢山いる。
そういう輩と喧嘩したり、懇切丁寧に説明したりするのが面倒だから、なるだけストレートな表現にしたり、いちいち注釈を付けたりせざるを得なくなる。
昭和の頃は難解な映画やドラマも多かった事実を踏まえれば、どちらかと言うと視聴者側の質の劣化、はっきり言えば白痴化が先だったと言わざるを得ないかも? もちろん、私自身も含めて(なんて一言を加えてクレームを予防する)。
だから、映画やドラマの倍速視聴、ファスト映画の流行には、裏にとてつもなく深刻な問題が潜んでる。バカが増えりゃ戦争も起こるワケです。破滅です。
PS. ゼェーット!!のアニキ=水木一郎さんが亡くなられたそうです。ちょうど『マジンガーZ』放映開始50周年のタイミングで。
同じ1972年にスタートした『太陽にほえろ!』がデビュー作の渡辺徹さんも亡くなり、私の父も亡くなり……何なんでしょう、この流れは。
新書『映画を早送りで観る人たち』の序章で、著者の稲田豊史さんはこう書かれてます。
「10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。そこで生じる気まずさ、緊張感、俳優の考えあぐねた表情。それら全部が、作り手の意図するものだ。そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)。」
それを「飛ばす」「倍速で観る」なんてのは「石川さゆりの『天城越え』やあいみょんの『マリーゴールド』を倍速で聴いたり、サビ以外を飛ばして聴いたりするくらいの逸脱行為に思える」とも。
まったくその通りだと私も思うけど、倍速視聴が当たり前になってる人たちにそれを言っても、たぶん「は?」「なに言ってんの?」てな反応しか返って来ないでしょう。
彼らが求めてるのはコミュニティで仲間外れにされない為の「情報」だけですから、作者の意図なんか知った事じゃない。
私が映画やドラマを観るとき、あるいはレビューするときに何をいちばん考察するかと言えば「作者の意図」ですから、そりゃもう彼らとの間には絶望的な隔たりがある。作品を観る目的からして全く違うから話になりません。
倍速視聴やファスト映画を好む人らに共通する特徴として、とにかく「早く結末を知りたがる」ってのがあるみたいです。
通して観るのが面倒くさくなったり、その時間が勿体ないから、ファスト映画やネタバレサイトで手っ取り早く結末を知る……っていう行為まではまぁ、まだ理解できなくもない。その作品に吸引力が足りなかったとも言えますから。
でも、先に粗筋を調べて「結末を知ってから初めて本編を観ます」なんて言うヤツも結構いるなんて聞くと、もはや同じ地球上に生きてる人間とは思えません。
例えば本気でサッカーが好きな人が、リアルタイムで試合を観られなくて、終了後に録画したのを観る場合、事前に勝敗結果を調べるなんて絶対しませんよね?
本気で好きなら、早送りやダイジェストで満足できる筈もない。ゴールが決まった瞬間に興奮したり一喜一憂できるのは、なかなか決まりそうで決まらない課程をハラハラ、時にはイライラしながら観て来たからこそですよね?
その課程をすっ飛ばして、ゴールが決まった瞬間だけ観て興奮する人がいるなら、そりゃ単なるパブロフの犬でしょう。役者さんが泣いて見せて、切ないBGMを流せば条件反射的に(いとも簡単に)泣いてくれる日本映画の多くの観客たちと同じです。
だからタイトルに「バカ」って書いたんです。感性も考察力もすっかり退化した、パブロフの犬って言ったら犬に失礼なほどの白痴ぶり。一体、なんでこんな事になっちゃったのか?
しかしホントに、これが今の現実らしいのです。倍速視聴、10秒スキップ、ファスト映画などを常用してる人たちに、異常なことをしてる自覚はまったく無いんだとか。
私が大好きな「悪党どもを片っ端からぶっ殺す」アクション映画だって、その悪党どもがさんざん悪いことして、そいつらに主人公やその身内が酷い目に遭わされる課程をすっ飛ばしたら、ヒーローが単なる殺人狂にしか見えなくなっちゃう。
それでいいのか? いいワケがない! 映画やドラマが一体なんの為に存在するのか、その意義すら解んなくなってくる。ああホント、破滅としか言いようありません。
もう10年近く前の話だけど、その頃30歳前後だった若い同僚から、私が所有してる映画のDVDやサントラCDを貸して欲しいと頼まれた事がありました。
それはお安い御用ではあるんだけど、彼が求めたのは私のオススメ作品ではなく、誰もが知ってる人気作や、巷で名作と云われてる作品ばかり。
アニメオタクだった彼は、私とオタク談義する際に、どうやらコンプレックスを抱いてたみたいなんです。アニメよりも映画について詳しい方が高尚っぽくて、世間体が良いとたぶん思ってた。
このギャップはいったい何だろう?って、私はすごい違和感を覚えました。
アニメ好きであることを大声で言えない気持ちはまぁ、解らなくもない。けど、だからって、別に好きでもない映画について詳しくなったところで、いったい何が楽しいの?って。
それ以上に理解しづらかったのが、巷で人気だったり高評価だったりする作品さえ観とけばいいっていう考え方。
どう思います? そんな事して一体なんの意味があるのか、私にはサッパリ解りません。
いつだったか、マイフェイバリット映画のトップ10をブログに書きましたけど、巷で名作と云われてるのはチャップリンの『街の灯』ぐらいで、あとは『リーサル・ウェポン』とか『キック・アス』とか『マジンガーZ 対 暗黒大将軍』とかですよw
巷でどう評価されてるかなんて、まったくどーでもよくて、とにかく私は悪党どもを片っ端からぶっ殺す映画が好きだから、選べと言われたらそれしか選ばない。『万引き家族』とか『ドライブ・マイ・カー』とか全然観たいと思いません。
もし映画評論家になりたいって言うなら、そりゃ名作(と云われてる作品)から押さえていくしか無いだろうけど、そうでないなら好きなのだけ観てりゃええやん!って。
そもそもアニメが好きなら、その道を究めて行けばいいんです。中途半端にかじった名作映画より、私はアニメの話をもっともっと聞きたかった!
新書『映画を早送りで観る人たち』を読みながら、私はその若い同僚のことを久々に思い出しました。世間の話題について行く為に、映画やドラマの粗筋と結末、つまり情報だけを求める若者たち。私にはまったく理解できません。
今、私がいちばん合体したいと思ってる女性はKT Jacksonさんだけど、そこまで好きになっちゃった理由というか、キッカケは『この子の七つのお祝いに』なんですよねw
2022年現在、誰も話題にしてないどころか、公開当時もそんなにヒットしなかったこの映画を、夜な夜な繰り返し観て悦に浸るKT Jacksonさん!
しかも、当時若手のイケメンだった根津甚八さんじゃなく、当時すでに禿げ散らかしてた杉浦直樹さんに萌えまくるKT Jacksonさん! 最高ーっ!!
私はそんなKTさんがあまりに可愛くて愛しくて、直樹にも負けない自慢の舌技で吸った揉んだしたくて仕方なくなっちゃった次第です。
いや、KTさんが普段ブログに載せておられる、全ての画像が巷の話題とかけ離れてるんだけどw、その中でも『この子の七つのお祝いに』と杉浦直樹さんはダントツでしたw
作品を鑑賞するって、こういう事だと私は思うワケです。いや、ちょっと特殊かな?w でも、私の楽しみ方とめちゃくちゃ近い。だから今すぐ合体しなきゃダメなんです。
本来、作品はこうして個人で楽しむものであって、世間なんかいっさい関係ないんです。なのに、なんで世間の為に映画やドラマを早送りで「消費」しなきゃいけないのか?
本当に、まったく理解できません。自分はここまで世の流れと剥離しちゃったのかって、やや愕然としてます。間違いなく、破滅です。
『映画を早送りで観る人たち』っていう本(稲田豊史著、光文社新書)を読んでます。
以前から書店で見かけて気にはなってたけど、まぁそういう人たちが沢山いるのは知ってるし、自分も早送りする時はあるから、そんなに問題視する事じゃないと思いスルーしてました。
けど、多くの若い人たちがしてる早送りと、私がしてる早送りとは、どうも意味合いが違うらしいんですね。
それはもしかすると、このブログの決まり文句「(世の中は) 破滅です」に繫がりかねない、けっこう深刻な問題かも知れない。
っていうようなことを書いた本だと読者さんに教えてもらい、それなら読んでみたい!と思い立って購入した次第です。
まだ導入部しか読んでないけど、映画やドラマが倍速視聴されるのが今や当たり前になってたり、作者に無断で切り刻まれた「ファスト映画」が大人気になってるのは、どうやら多くの若い人たちが「世間の話題について行くため」なんですよね。
私が早送りするのは、ブログでレビューする為にセリフをメモしたり画像を撮ったりする「作業」に伴うもので、最初に「鑑賞」するときは絶対そんな事しません。
ちゃんと本来のスピード、っていうか「間」を体感しないと鑑賞した事にならないし、感想なんか書けないですよ!
けど、多くの若い人らにとって、作品を観て自分がどう感じるかは、別にどうでもいい事らしいんです。
彼らの目的は前述の通り、世間の話題について行く事なんで、粗筋と、ポイントになるセリフさえ知っとけば充分なワケです。この本じゃそれを「鑑賞」じゃなく「消費」と表現してるけど、まさにそうですよね。
そんな観方されたら創り手はたまったもんじゃないけど、創り手の側が世間の人らをそんな風にしちゃった側面もある筈で、この問題の根っこは相当深い。
けど、私が今回言いたいのはそこじゃなくて、お前ら、なんでそうまでして世間の話題について行きたいねん?ってこと。
ただコミュニティの会話に入って行きたいが為に、観たくもない映画やドラマをわざわざチェックする、その行為こそが私は気持ち悪くて仕方がない! ほんと、バッカじゃないの?
ちょっと長くなりそうなんで、この話は連載形式で書いていきます。