屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

金鈴樹の咲く首里城へ

2007年03月22日 | 沖縄


レンタカーを返却したので、モノレールの一日乗車券を購入・・
首里駅からお城まで、キンレイジュ (←クリック)の咲く近道を抜けると12~13分で城内にはいれる。
だれも通らない露地をしばらくゆくと、首里城の裏手にでる。
こういう道を歩くとわくわくするのである。



中城をみたあとでもあるし、昨年は首里城内をじっくりみたし、
こんかいは時間もなくて、ほんのさわりのところだけでおわった。
しかし、次回は首里城で琉球舞踊をみたいと思っている。



夕食は沖縄一色のセットメニュー
海ぶどう、うに、ゴーヤ、沖縄そば、豚のナントカ?、あとは忘れたが・・
とても食べ切れません。。



旧海軍司令部壕  黙祷

2007年03月21日 | 沖縄


1944年海軍設営隊によって掘られた海軍の沖縄方面根拠地隊 (旧海軍司令部壕) である。
カマボコ状のトンネルは全長450mにおよび、この中に約4000人の兵士が収容されていた。
身動きすらままならぬ状態で、兵士たちは立ったまま眠ったということである。

1945年6月13日、大田實司令官以下の将兵はついに自決を遂げる。





幕僚室は手榴弾によって自決した痕跡が生々しく残っていた。
思わず胸があつくなって、涙ぐんでしまう・・
昨年、ひめゆりの塔で女子学生の作文を読んだときと同じ思いであった。

兵士たちはなんのために玉砕したのか自決したのか、
この期に及んで、おとなしく降伏すればよかったのにと思うが、
それはいまの平和な日本人が無責任に思うことかもしれない。
もし、自分がその場にいたとしたらどういう行動をとったのかわからない。



中城 古琉球の夢見る

2007年03月20日 | 沖縄


中城(ナカグスク)・・
尚泰久は王位を狙う阿麻和利を牽制するため勝連と首里の中間にある中城に護佐丸を配したという。
(護佐丸・阿麻和利の乱)

中城は護佐丸によって築かれたという説もあるが、一の郭、二の郭と三の郭、
北の郭の石積み技法が違うので、先中城按司が手がけたと考えられている。



自然の岩石と地形的条件を生かした美しい石垣はとても壮観で芸術的ですらある。



この城壁にたって、太平洋を眺めながら古琉球の歴史に思いを馳せるとよい。
沖縄本島には座喜味、今帰仁、勝連とかの大きなグスクはあるが、
わたしはこの中城がいちばん気に入っている。


ルネッサンス・リゾートの朝の風景

2007年03月19日 | 沖縄


今朝は洋食バイキングを選んだ。
少し風があるようで涼しい朝、海を眺めながらの食事は美味しい。
なお、ジュースは自分で絞るんだよ。

なんと、この肌寒い日の浜辺に水着姿の美女がたわむれていた。
エレベーターに乗っていたギャルグループが、彼女たちをみて、
異口同音に・・
「ありえな~い」



沖は白波がたっている。
真ん中あたりに見えるのは、シーウォークの基地・・
昨年はあそこへ渡ってから海へ潜ったわけである。



”美ら海”のなかの風景

2007年03月18日 | 沖縄


いよいよ潜水開始・・
妻は一応泳げるが、海中でバランスを取りながら潜水するのは難しいらしい。
わたしなら亀がひっくり返ったような姿になってしまいそうな気がする。

宇宙遊泳のような無重力の世界から、酸素ボンベが重いせいもあるが、
およそ30分後、ふらふらとインストラクターに支えられながらあがってきた。



海が荒れていたから、いつもの潜水ポイントでない。
近場を潜ったので、砂カレイしかみられなかったということである。

ほんとうはこういう海の中なのかな・・
  
  
美ら海水族館から

ルネッサンス・リゾートオキナワ

2007年03月17日 | 沖縄


恩納村の ルネッサンス・リゾートオキナワ・・
ここに宿泊するのは三度目、ホテルには古くから沖縄唯一の山田温泉があるので、
一日ブラブラしていても飽きることはない。
一階のフロアーでは、ネットにつながるパソコン三台があり、
しかも夜になるとフロアーのどこにいても生演奏が聴かれる。
(わたしたちの部屋は上から三番目で眺望抜群)

海はまだ冷たい・・
でも、若い人たちは屈託がなくて明るくていいね。

これからいよいよアクアラング、これは楽しみな体験となりそう。



といっても、アクアラングで潜っているのは妻だけ・・・
わたしは水が苦手なので、浜辺やフロアーのなかをカメラを抱えてうろちょろしていたのである。
そのとき新郎新婦さんが登場!
お客さんもまばらな昼下がり、わたしはホテルの従業員さんと一緒になってお祝いの拍手をしてあげた。
きれいな花嫁さんだね。



伊計島 仲原遺跡を訪ねる

2007年03月16日 | 沖縄


伊計島の仲原遺跡(ナカバル)へ向かう。
沖縄貝塚時代中期(紀元前800年~紀元前200年頃)の遺跡である。
竪穴住居跡などの原始集落が見られる。

沖縄まできて、この遺跡を見に来る人は少ないかもしれない。(笑)



伊計島の峠道からの眺めが、とてもよかったので車を止めた。
うしろの車も同じようにデジカメでパチパチ撮っている。
このどこか見慣れた風景は北海道に似ていて沖縄にきたという気がしない。
ああ、曇っているせいだね、きっと。


アマミチューの墓

2007年03月15日 | 沖縄


浜比嘉島の東方海岸にあるアマンジの岩屋・・
琉球開闢伝説のアマミチュー、シルミチューの男女二神の神が祀られている。
毎年、年頭拝みには宇比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の多数の参加して、豊穣、無病息災、子孫繁昌を祈願している。


勝連城~予名那城から海中道路を走って平安座島、そこから浜比嘉大橋をわたって浜比嘉島へ・・

さらに、浜比嘉島から徒歩でアマンジの小島へわたる。
家族の方たちと思うが、かなり長く アマミチューの墓 の前でおまいりしていた。
「どうしてそれほど長くお祈りするのですか」
お尋ねしょうかと思ったけど、やはり余計なことだよね。

向こうにみえるのは浜比嘉大橋。



浜比嘉の磯で貝殻を探す女ありて・・

  引く波の磯をたずねし桜貝



勝連城 阿麻和利の野望

2007年03月14日 | 沖縄


勝連城 は琉球王府に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)の居城である。
沖縄本島最古の城郭の一つとされ、12世紀ごろに築城された。
1400年代初めに中山王となった尚巴志は沖縄本島の統一を目指した。
六代目尚泰久になって、有力按司同士の争いがおきた。
護佐丸・阿麻和利の乱である。
尚泰久は王位を奪おうとする阿麻和利を牽制するため勝連と首里の中間に位置する中城 には護佐丸を配した。
阿麻和利は尚泰久の娘を妻にして琉球王統と平穏を装っていたが、
邪魔者の護佐丸を取り除くため、「護佐丸に二心あり」と讒言した。
そのため、尚泰久に疑われた護佐丸は自害したが、ことは露見し、勝連城の阿麻和利も首里王府軍に滅ぼされる。



那覇で琉球史劇のポスターをみかけた。
阿麻和利はいかにも悪人面で、きっと敵役なんだろうね。
でも、彼は勝連では英雄であって人望があったとか、護佐丸は実際は反逆者であったとかいろいろな説がある。

つい琉球の歴史に興味があって「琉球・沖縄史」を買った。



あいにくの天気であるが、小高い丘のうえの 勝連城 をゆっくりとのぼっていくのはとても気持ちがよい。
歴史を知りつ、城跡をまわること、いまひとつ歴史の深みに触れられそうな気がする。
明日は 中城 へまわる。

美ら海のジンベイザメ その2

2007年03月13日 | 沖縄


ジンベイザメの餌はオキアミ。
係員が水面をどんどん叩く、これが合図のようで、
ジンベイザメがだんだん垂直になって、大きな口を開けたところに、
長い棒のついた柄杓にオキアミをいれてその口に流し込むというわけである。
ジンベイザメは海水ごと一気に飲み込むが、
もちろん海水はつど排出するので心配ない。

水槽にはエイもいるし、たくさんの魚がいるので、
ジンベイザメの給餌のあとは彼らにイカや魚の切り身を与える作業がつづく。
わずか15分位の時間であったが息を呑むスペクタクルシーンであった。



水槽のなかの海水は20分で全部入れ替わるというから、
海水が汚れたままということはない。

それにしても、なんとも不思議で感動的な光景である。