早田ひなさんが語る
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていることを、そして自分が卓球をこうやって当たり前にできているということは、当たり前じゃないというのを感じたい」
中韓に気を使って、「現役中はそんな発言しないほうがいい」としたり顔でのたまうコメンテーターのあまりの軽さにため息がでる。
14~5年位前になるが、知覧へ行ったときのブログを以下に・・
「どんな事があっても撃沈させて帰ってくるからね」
「じゃっどん、どげんして帰っとな?」
「ホタルになって帰ってくる」
「だからホタルが来たら僕だと思って、追っ払わないで、よく帰ったと迎えて下さい」
華のときは悲しみのとき 著者:相星雅子
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出撃前夜、
宮川軍曹と知覧の母(島浜トメさん)の最後の会話であった。
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特別攻撃隊で散った若者たち・・
「崇高な死」か「無意味な死」か、
ただ云えることは軽々しく二者択一で彼らの死を決めつけることはできない。
もちろん、「崇高な死」ではないが、「無意味な死」と決めつける論調はあまりに冷酷で心がない。
わたしは、時代の悲劇に翻弄された痛ましい死としか捉えられなかった。
戦争はあってはならぬことだが、
「平和」を無傷(そして無償)で手に入れることはできない。いつの時代であっても世界中どこであっても紛れもない事実なのである。
出撃前夜は知覧の宿で最期のご馳走を頂いたそうだが、それまではこの三角兵舎で過ごしていた。
そのことに思いを馳せながら兵舎のなかを見渡すと、バスツアーでご一緒だったご婦人が眼を潤ませて白い枕をやさしく撫でていた。