”BS日本こころの歌”でフォレスタが歌う「カチューシャ」を聴いていたとき、
もしかして、松井須磨子ご本人の歌がYOUTUBE に公開されているかもしれないと思った。
ただ、大正時代のことゆえ音源はあるのか、あまり期待していなかったが、なんと簡単にヒットしたので驚いた。
淡々とした歌いかたながら心に沁みる、せつなく哀愁に漂う「カチューシャ」であった。
2006年6月5日
「松井須磨子の恋」というブログを書いていた。以下↓

左から二人目が松井須磨子、そして島村抱月、坪内逍遥
早稲田演劇博物館で「文芸協会」百年記念展で、
「松井須磨子の恋」が放映されていた。
松井須磨子は坪内逍遥の文芸協会の一期生である。
島村抱月は大学教授の名誉も地位も妻子も捨て、須磨子と共に芸術座を設立したが、
しかし、抱月はスペイン風邪で病死すると須磨子は後を追って自殺した。
抱月と須磨子の苦悩と情が深く交わった恋であった。
久々にアカデミックな雰囲気に触れることが出来て刺激になった。
もしかして、松井須磨子ご本人の歌がYOUTUBE に公開されているかもしれないと思った。
ただ、大正時代のことゆえ音源はあるのか、あまり期待していなかったが、なんと簡単にヒットしたので驚いた。
淡々とした歌いかたながら心に沁みる、せつなく哀愁に漂う「カチューシャ」であった。
2006年6月5日
「松井須磨子の恋」というブログを書いていた。以下↓

左から二人目が松井須磨子、そして島村抱月、坪内逍遥
早稲田演劇博物館で「文芸協会」百年記念展で、
「松井須磨子の恋」が放映されていた。
松井須磨子は坪内逍遥の文芸協会の一期生である。
島村抱月は大学教授の名誉も地位も妻子も捨て、須磨子と共に芸術座を設立したが、
しかし、抱月はスペイン風邪で病死すると須磨子は後を追って自殺した。
抱月と須磨子の苦悩と情が深く交わった恋であった。
久々にアカデミックな雰囲気に触れることが出来て刺激になった。