屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

サムソンとデリラ

2009年02月12日 | 


旧約聖書の物語から・・

サムソンとデリラ ←詳しくはクリック
サムソンは神から与えられた怪力の持ち主で、ペリシテ人はまったく歯がたたない。
なんとかサムソンの怪力の秘密をつかもうと、ペリシテ随一の美女デリラを侍らせたところ、
彼はすっかりデリラにのぼせあがって、最高機密であるべき自分の弱点をばらしてしまう体たらく・・
それでも、二度三度は偽の情報を与えてごまかしていたが、
「わたしを愛していないの」
とデリラのセクシーな仕草に惑わされ、髪の毛のことをペラペラとしゃべってしまう。
なんだかんだいっても男は美人に弱いものである。

「サムソンとデリラ」でサムソンを演じたのはビクターマーチュア、
筋骨隆々で見栄えのする俳優であるが、
どうも、デリラの手練手管に腑抜けになって、
演技とはいえ、彼の間抜け顔がリアル過ぎて妙に納得してしまうのである。

那覇行きの航空機のなかで、サムソンのだらしなさにあきれていたのであった。

まあ、ファンにかたには申し訳ないが、
もてない男のやっかみと思ってくだされ。


旧約聖書を知っていますか

2009年02月11日 | 


朝から間断なく雪が降っている。
そのなかをぼわっと見えるのが太陽だよ。

沖縄旅行中は「風の盆恋歌」を読むつもりであったが、
アイヤーヨッの掛け声につられて「旧約聖書を知っていますか」を開いてしまった。
旧約聖書はアブラハムの事蹟からたどるのが初心者向きといわれる。
なんせ人の名前が延々とつづくので、いい加減いやになるが、
アイヤーヨッの呪文を唱えれば・・
アブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブ、ヤコブの子がヨセフとつなげて憶えることは容易である。
このあとにモーセが登場し、ダビデとソロモンが威風堂々とやってくる。
憶えてしまえば旧約聖書が身近に感じてしまうから不思議である。
アイヤーヨ、モーセ、ダビデ、ソロモンと一気呵成に読むうちに那覇についてしまった。

イスラエルとパレスチナ、いつまでも続く憎しみの原点はどこにあるのか、
出来ることなら旧約聖書を読んでみたい。
わたしなりに彼らの紛争の源がわかるかもしれないと思うから。

額田王

2009年02月10日 | 


万葉集は7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれ、日本に現存する最古の歌集で、
天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものである。


三日前のNHKの特別番組「万葉集」・・
そのなかで万葉集人気ベストテンの歌が発表されたが、第一位は額田王の”茜指す・・”であった。

 茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る      額田王
 紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも      大海人皇子


額田王は天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)の二人から愛された。
彼女がこの歌を詠んだときは三十路を越えていたというから、
余程に美しい方であったのだと思う。

額田王は”熟田津・・”もベスト六位であった。

 熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬいまは漕ぎいでな

これは中大兄皇子が百済救援のために熟田津から出兵(白村江の戦い)したときに詠まれたものである。

額田王を巡る中大兄皇子と大海人皇子の三角関係、
そして大友皇子(天智天皇の子)と大海人皇子の皇位継承を巡る争い(壬申の乱)へ歴史はつながってゆく、
そんな古代史の絵巻物に興奮を禁じえないのである。


手づくり雛人形

2009年02月09日 | 作品展


わたくしどもの町内会主催の作品展である。
みなさんお忙しいなかプロ顔負けの作品が多数出品されて、素敵な展覧会となった。

その一部を紹介しますね。

お雛さま



絵手紙と提灯



藍染



北大植物園



キルト



手づくりカレンダー



沖縄第五日目 喜屋武岬~札幌へ 

2009年02月08日 | 沖縄


1月29日・・
ルネッサンスリゾート~喜屋武岬~具志川城~琉球ガラス~パイナップルハウス~沖縄空港=新千歳空港

喜屋武岬は沖縄本島の最南端・・
東シナ海に面する静かな岬で、沖縄戦跡国定公園に含まれる。

ここには沖縄戦で犠牲になった住民、軍人合わせて1万人の霊を弔う「平和の塔」が建てられていた。

その碑文に・・

「昭和二十七年十月地元民は将兵並びに戦闘に協力散華せる住民の遺骨併せて一万柱を奉納し
平和の塔と名付けしがこのたび南方同胞援護会の助成を得て新たに塔を建てその遺烈を伝う」


わたしたちはこの平和の塔に黙祷を捧げた。



岸壁には花束が置いてあった。
きっとこの岬で亡くなられたご遺族のかたが供えたのだろうと思う。

 一万の御霊よあわれ泣き濡れて喜屋岬に花を捧げよ         春

沖縄南部は太平洋戦争の悲劇が凝縮した地域であった。
「ひめゆりの塔」はここからすぐ近い、
どんな方でも、涙なくして彼女たちの記録を読むことができないと思う。



実際の最南端は荒崎だという・・
向こうに見えるのがそうかもしれないね。



具志川城、
久米島具志川城主の「真金声按司」が久米島の城を追われ、ここに築城したと言われている。
いま復元工事の最中であった。



琉球ガラスで数々の作品をみせてもらって、こころが満足・・
美しい箸置とパイナップルをひとつお土産にいただいたので、
さあ、冬真っ只中の札幌へ帰ろう!



沖縄第四日目その3 サンセットクルージング

2009年02月07日 | 沖縄


真栄田岬に夕陽が沈む・・
そんなことで、ルネッサンスリゾートから出航、サンセットクルージングを楽しむ時間である。
「海上は寒いから、厚手の服を着込んでください」といわれたが・・
風もなく波は静か、
寒いといっても六月の積丹カレイ釣りのときと同じようなもの。



子供たちは元気がいい・・
舳先のマットに寝転んですっかりクルージングを満喫している。
ほれあそこに見えるのが、ルネッサンスリゾートだよ。



三月になると、夕陽は真栄田岬のほうに沈むのだが、
いまはかなり内陸に寄っていた。


沖縄第四日目 美ら海でジンベイザメと逢う

2009年02月05日 | 沖縄




1月28日・・
ルネッサンスリゾート~美ら海水族館~フルーツランド~サンセットクルージング~ルネッサンスリゾート

「美ら海水族館」へ・・
これで三度目だね、ここへくるのはジンベイザメと逢いたいがため、
何度きても飽きることはない。
はじめてみたときのあの異様な感動は薄れたが、
このゆったりと泳ぐ大きな魚にいつも魅せられる。







大水槽のアクリルパネルの厚さ60センチだよ。
これだけの水圧を支えるのだから、どうしても必要な厚さなんだろうね。


沖縄第三日目その3  残波岬

2009年02月04日 | 沖縄


残波岬・・
夕陽をみたいと思って岬まで急いだが、
生憎雲がかかってきて、着いたときはもう薄暗くなっていた。
東シナ海の白い波が岩礁に打ち寄せる、
岬の尖端までゆくと目がくらくらするから、
高所恐怖症はそこまでゆかないほうがいいよ。

灯台に明かりがともる。





沖縄第三日目その2 東南植物楽園

2009年02月04日 | 沖縄


午後から東南植物楽園へ・・
「美ら海水族館」にいくかどうか迷ったけど、
ちょっと時間が押していたから、それは明日の予定にした。

この植物園は少し期待はずれだったね、
でも、合歓の花とヒスイカズラの花が珍しくて、それだけはよかったかな。

 象潟や雨に西施がねぶの花      芭蕉

西施は中国三大美人のひとり(あと二人は楊貴妃と王昭君)、
繊細な刷毛に似た花はやはりきれいだね。

ヒスイカズラもなかなか見応え?があったね。





これから残波岬へ向うことにしたが、
途中、宜野湾の道の駅から米軍基地を眺めてきた。
少し複雑な気持ちにはなるよね。


沖縄第三日目 ルネッサンスリゾートの浜辺

2009年02月04日 | 沖縄




1月27日・・
ルネッサンスリゾート~スキューバーダイビング~東南植物楽園~宜野湾~残波岬~ルネッサンスリゾート

妻は海の中でお魚と遊んでいるので、、
わたしは浜辺のベンチに腰掛けてなにを考えることなく海を眺めていた。
日中の気温はなんと23度、北海道なら6月の日和かな。
でも、さすがに泳いでいる子はいないと思ったら、子供が裸になって水遊びしていたよ。
風がないから、ぽかぽかして気持ちがいい。
本来は怠け者なので、こんな無為な時間を過ごすのが好きなのである。

わたしたちの部屋は八階・・
退屈になったから、パソコンでもやってこようかと。