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大阪駅の北にあった梅田墓地

2020-08-14 | 関西ローカル

梅田墓地が、話題になっています。

ニュースのタイトルは、次のとおりです。

タイトル:大阪・梅田墓地跡に大量人骨 複数体重ねた穴10個前後

https://www.asahi.com/articles/ASN8F5T8DN8FPTIL01P.html

新聞記事の抜粋:

江戸後期から明治初期に亡くなった庶民の骨とみられるという。

(中略)

当時の都心だった大坂城周辺から離れ、曽根崎村と呼ばれる田畑の広がる地域だった。その農村の真ん中にあった墓地「梅田墓(うめだはか)」に埋葬されていた人たちの骨だという。

(中略)

梅田墓は、当時の中心部から離れた所に点在していた「大坂七墓(おおさかななはか)」の一つ。お盆の時期、7カ所を回って霊を供養する「七墓巡り」が庶民の間で流行していたとされるが、中でも梅田墓は代表的な墓地。人形浄瑠璃作家・近松門左衛門の作品「曽根崎心中」などに登場する。

抜粋以上

 

新聞記事のタイトルを見ると、「おどろおどろしい」ですが、何のことは無い、昔、無縁墓地を含む墓地の発掘調査に基づく新聞記事です。

この墓地の一部は、供養塔として、別の場所に移していたようですが、未だ、残っていたようです。

詳細は、ここを参照してください。

http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-784.html

 

なお、梅田とは、江戸時代以前は、下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれていました。

梅田は、大阪の北のはずれの場所でした。

大阪の外れにあったので、明治の時代、陸蒸気のSLが乗り入れることができた地域とも言えます。

その墓地が、今、開発中の元貨物基地だった場所です。

大阪駅(当時は梅田ステーション)の詳細は、同じブログのここを参照してください。

http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-94.html

 

大阪の歴史を感じる新聞記事でした。