梅田墓地が、話題になっています。
ニュースのタイトルは、次のとおりです。
タイトル:大阪・梅田墓地跡に大量人骨 複数体重ねた穴10個前後
https://www.asahi.com/articles/ASN8F5T8DN8FPTIL01P.html
新聞記事の抜粋:
江戸後期から明治初期に亡くなった庶民の骨とみられるという。
(中略)
当時の都心だった大坂城周辺から離れ、曽根崎村と呼ばれる田畑の広がる地域だった。その農村の真ん中にあった墓地「梅田墓(うめだはか)」に埋葬されていた人たちの骨だという。
(中略)
梅田墓は、当時の中心部から離れた所に点在していた「大坂七墓(おおさかななはか)」の一つ。お盆の時期、7カ所を回って霊を供養する「七墓巡り」が庶民の間で流行していたとされるが、中でも梅田墓は代表的な墓地。人形浄瑠璃作家・近松門左衛門の作品「曽根崎心中」などに登場する。
抜粋以上
新聞記事のタイトルを見ると、「おどろおどろしい」ですが、何のことは無い、昔、無縁墓地を含む墓地の発掘調査に基づく新聞記事です。
この墓地の一部は、供養塔として、別の場所に移していたようですが、未だ、残っていたようです。
詳細は、ここを参照してください。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-784.html
なお、梅田とは、江戸時代以前は、下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれていました。
梅田は、大阪の北のはずれの場所でした。
大阪の外れにあったので、明治の時代、陸蒸気のSLが乗り入れることができた地域とも言えます。
その墓地が、今、開発中の元貨物基地だった場所です。
大阪駅(当時は梅田ステーション)の詳細は、同じブログのここを参照してください。
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-94.html
大阪の歴史を感じる新聞記事でした。