古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

イチローの試合を見た話

2009年03月26日 03時13分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田舎暮しをはじめる前は神戸のグリーンスタジアム(スカイマークスタジアム)が朝の散歩コースになる須磨区に住んでいた。オリックス・ブルーウエーブの応援に、球場内のスカイレストランでの食事に、また花火ナイトの野球見物にときに出掛けた。
 2000年10月13日、ぼくは家で夕食を食べてから歩いてグリーンスタジアムに野球観戦に出掛けた。オリックスのシーズン最終戦が行われる日で、アメリカに渡ることになったイチロー選手を見られる最後の公式戦だった。
 地下鉄の駅から多くの人が外野席のほうに流れていく。観戦チケットを買おうとしたらこの日は外野席は無料解放になっていた。イチローの守備位置のライトまで歩いて観客席に入ってみるとほぼいっぱいの観客で埋まり、「感動をありがとう」とスローガンを書いて掲げている女の子もいる。
 試合ははじまっていたが、イチロー選手は出ていない。彼はこの年8月終りの試合で右脇腹を痛め、以後ずっと試合に出ていなかった。そのイチローが9回の守りからライトの守備についた。歓声と拍手で観客は彼を迎えた。ボールが飛んできて彼が守ったかどうか覚えていないが、イチローはたしかにライトの守備位置に立っていた。
 試合は終った。選手がベンチに引き上げた。バックスクリーンの大型画面に、大地震の前年1994年に一軍に登場して、いきなり210本のシーズン最多安打を記録したイチローの映像が流された。この記録はいまも健在で、だれかが破るのは当分むずかしいだろう。打ってダイヤモンドを走りまわるのはまだ少年だ。「若い!」と画面を見る女の子の声。多くの観客は立ったまま画面を見て、なかなか帰ろうとしない。
 イチローがベンチを出て、ライトの守備位置に歩いてきた。観客は拍手と歓声で彼を迎えた。イチローが手を振り観客も手を振った。多くの日本のプロ野球記録を残してイチローはアメリカに渡った。そしてアメリカでも多くの大リーグ記録をつくりつづけている。
 彼のプレーは日本の多くの人たちに野球を見るたのしみを与えた。アメリカに渡ってからは、アメリカのそして世界の多くの野球ファンに野球を見るたのしみを与えてきた。
 日本での終りの二シーズン、イチローは怪我でシーズンの終りに試合に出られなかった。あれは日本だけにはおさめられない彼のプレーの何かがあんなかたちで表出したのではないか、といまも思う。その後の完璧なまでの彼の自己管理を見るにつけても。
 何より彼のチームをワールドシリーズで優勝させたい。野球は、試合に勝つためにチーム全員の知力体力を結集するスポーツだ。長年野球をしつづけてきたイチローはそのことをよく知っている。そして勝ちたいと願っている。イチローは記録のために野球しているんじゃない。WBCで彼が『勝ちたい!』と思ってチームを引っ張っていく姿を見るにつけ、いまでいえばマリナーズを強いチームにしてワールドシリーズで優勝させたいとつよく思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする