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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『ペリリュー島玉砕戦』を読了しました。

2012年01月20日 05時25分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 日曜日に来た孫たちが畑でカートを押して遊んでいる図です。おじいちゃんは、大志くんを乗せて畑を二周、二人を乗せて一周しました。あとは好きなように自分たちで遊んでくれ。
 気になっていた裏山の植木に寒肥を入れてやりました。植えた木は40本以上あります。「まー、いつの間にこんなに植えたのだろう」と自分でも感心しました。ツルハシでまわりを掘り、ふじわらファームの鶏糞を入れて土をかぶせます。12キロ入りを8袋使いきりました。
 サンシユウのつぼみがふくらんでいます。裏山でまず咲くのはサンシュウ、ネコヤナギ。それに今年はフサアカシア(ミモザ)が咲きそうです。コブシ、モクレン、ハナカイドウ、サクラ、コバノミツバツツジ、ツツジ ……。毎朝裏山を歩くのがたのしみな季節になります。
 きのうはほんとに久しぶりに雨が降りました。老人会長さんが、「大島(口吉川町で一番大きい)のとんどを取材に行ったら、タマネギに水をやっていましたよ」と話していました。長い間雨が降らなかったので畑はカラカラです。うちでも「朝のうちに水をやろうか」と話していたところでした。会長さんのところは「いつの間にか植えたタマネギが消えてしまっとるし……」。そんなところが多いようですね。でも降ってよかった。
 いい雨でした。ありがとう。
 机のまわりを整理していたら光人社NF文庫の『ペリリュー島玉砕戦』(船坂弘 著)が出てきました。夏に5分の4ほど読んでそのままになっていた本です。きのうは雨で外の仕事はできないし、その本を読んでしまいました。南海の小島の戦いは何冊か読んだことがありますが、日本軍が飢餓に苦しみ、敗走する記録がほとんどです。しかしペリリューの戦いは凄かった。ペリリュー島というのはニューギニアの少し北方、パラオ諸島の中の小島です。飛行場があり、ここを占領してフィリピン攻略の足場にしようと米軍は考えました。
 昭和19年の秋、アメリカ軍は「こんな小島は三日で占領する」と言って大量の艦砲射撃、爆弾を落としてから上陸作戦にかかりました。しかし水際作戦をとらない日本軍は、サンゴ礁の島に縦横無尽に穴を掘り、70日間にわたって抵抗したのです。アメリカ軍の犠牲は大きかった。なんでこんな小島に大量の物量を投入し、多くの犠牲を払ったか。戦後になっても疑問が残る、とニミッツ(提督)も言っています。
 この本はその日本軍の勇敢な戦いを描いています。船坂弘さんはこの島の戦いには加わっていませんでした。となりのアウンガル島で戦いました。しかしペリリュー島の戦いを調べてくわしく描いたのです。祖国日本の防波堤になろうとする気概に満ちた本で、いままで読んだ敗残の記と傾向がちがいますが、読ませる力はあります。ただしすんなりとは読めません。ぼくも数ヶ月にわたり、難渋して読了しました。
 ぼくはこんな敗残の記をいくら読めば気がすむのだろう。
 南海の小島、ビルマ、ルソン、レイテ、ニューギニア、中国、満州 ……。そんな戦いの記録を読んでなにかしようという気持ちはありません。しかしぼくより10歳ちょっと年上の人たちが追いやられたあの戦争から、一生気持ちは離れたくありません。
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