古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

大将軍神社にお参りしました。

2012年01月17日 03時09分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 ぼくらが二人で切り拓いた池を周回する散歩道ですが、ブログを読んだ娘たちと連合いが、日曜日に歩いてくれました。孫たちは先に駈けていってしまい、大人たちが連なって歩いている写真です。敬老の精神が伝わっているようでうれしく思いました。
 きのう16日は、畑の神さん・大将軍神社の月例祭というか、村の当番がお参りする人たちを接待する日です。農繁期の6月と10月を除いて毎月、この日の朝神社の前に幟(のぼり)を立て、神社のまわりに三宝にのせて御餅を供え、参拝者にお神酒と切り餅を供します。ぼくらがお参りすると聞いて、娘たちは自分の家族の袋を用意したので、きのうは5人分の奉納袋をお供えして拝みました。「奉納」と書き、どんな願い事があっても「家内安全」とだけ書き、名前を書かず干支と年齢だけ書き、12の倍数のお金を入れてお供えするのです。
 寒い日で、当番の家の方と村の人が焚き火にあたっておられました。お参りしてから焚き火のまわりでしゃべっていると、畑のあのカートのことが話題になり、おじいさんが「えらい器用やな。あの車もなんぞに使えるやろ」と言ってくださいました。不審がられたり不安がられたりするようなことは避けようと思いますが、ぼくらがたのしんでいることが伝わればうれしいです。
 経済小説『虚像』下巻(驕りの代償)を読みおわりました。リース業の会社が、ファイナンスの会社になり、不動産や生命保険に手を伸ばし、郵政民営化の甘い汁を吸って会社がのし上がろうとする様子、村上ファンドの栄光と失脚などいろいろ経済事件が出てきます。しかし実際の人や事件を知らないのでだれがモデルなのかわかりません。わかるのは「大泉純太郎」「竹井金融大臣」がだれのことかくらいです。
 世の中には金儲けのことばかりを考えて生きている人がいるんですね。世のため人のためになるか。人間としてやり甲斐のある仕事か。そんなことは考えないで、上司の顔色をうかがい、お金というモノサシだけで世の中を計る。別世界のことのようでした。それと気になったのは、経済小説では人間が話の筋に都合よく使われたり死んだりすることでした。ミステリー小説でもいえることですが、出てくる人にいのちを吹き込む誠意がほしい。やっぱりぼくはなじめませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする