古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

桾原の住吉神社にお参りしました。

2012年01月24日 05時39分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 軽トラで散歩に出て、佐の広池の土手に車をとめて周回道を一周。次に軽トラで桾原に行き、写真の住吉神社の前にとめてお参り。ついでに落葉でふかふかの山道を登ってみたら、小高いところに碑が立っています。明治三十三年とあり、だれか桾原のえらい人を顕彰する碑のようです。だれかがお参りしたような形跡はありません。どんなことをした人の碑か、どなたにたずねたらわかるのでしょうか。
 実は写真の『住吉神社』という名前も、散歩から帰って本を調べてわかりました。『三木市の史跡と神社仏閣』という本で、平成元年に三木市老人会連合会が出しています。それも郷土史にくわしい福本錦嶺さんが生きておられたときだったから出版できたので、いまとなってはこんな本は出せないでしょうね。
 この神社にはお稲荷さんのように赤い鳥居が連なっています。その鳥居には「平成二十二年」と書いてあり、最近立てたものです。村の役員会で相談して立てたのでしょうか。神社の社殿には正月の注連飾りがまだつけてありますから、村で祭っておられるのでしょう。事情のわかる方にたずねてみたいと思います。
 もう一つ、今年してみたいと思っていること。散歩していて村の墓場に出会うと、尖った墓石の墓を見て、書いてある内容を読むことにしています。戦死した兵士の墓です。日露戦争の戦死者の墓はわずかで、ほとんどがあの『大東亜戦争』で戦死した兵士の墓です。若ければ20歳で戦死し、あるいは35歳を過ぎて戦死している方もおられます。たいていは昭和18年から20年にニューギニアとかビルマとか南の島で戦死しています。その生前を知っている人はいま何歳になってこの世に生存しておられるでしょうか。
 実は3年前、口吉川町殿畑の集落を散歩していたとき、尖った墓石の三つ連なった新しい墓を見ました。同じ姓の墓です。ひょっとして三人は兄弟ではなかろうか。ふっとスピルバーグのつくったアメリカ映画『プライベイト・ライアン』を思いました。四人の兄弟が出征し、上の三人が戦死してしまった。そこで四人目の兵士を守る任務の部隊が編成され……という話です。
「子どものとき、かわいがってもらった。村の祭りでも頼りになる勇ましい若者でした」とか、「孝行息子で病気の母親のために骨身惜しまず働く子だった」とか、そんなふうに記憶にとどめている人が生存しているでしょうか。敗戦のとき22歳とすれば大正13年生まれ。現在88歳。またたずねてみます。
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