古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

まさに慈雨でした。

2012年05月31日 04時40分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 五月の後半は「ひと雨ほしい」とずっと思い暮らしてきた気がします。畑の水やりに毎日1時間をとられて、裏山の木々・花々にまでなかなか手がまわりませんでした。それが久しぶりのしっかりした雨で一挙に生き返りました。『慈雨』ってあんな雨をいうのでしょうね。
 きのうは病気平癒や雨のお礼参りをかねて、龍神さまに「お願い」をしてまわりました。またまた人の病気平癒や諸諸(もろもろ)の願いです。それをいちいち言葉で思い浮かべて拝むと長くなってしまうので、「ふだんお願いしていることをよろしく」と一括してお願いしました。まず生卵・清めの塩・清めの水を池にふりかけます(これは龍神にくわしい人の作法です)。次に手を合わせて不動明王の真言を三回となえます(ぼくの勝手な作法です)。
  
   のうまく・さんまんだばざらだん・せんだ・まかろしゃだ・そわたや・うんたらた・かんまん
 
 不動明王の真言は一番力があり、よくとなえられるそうです。ぼくが知ったのは比叡山千日廻峰業のビデオです。長くなりますがその場面の説明をします。
 比叡山千日廻峰業では700日目を終えると根本中堂に10日籠もります。これは10日間文字通り「飲まず食わず寝ず」の修行です。毎朝桶を担いで井戸まで水をくみに出ますが、7日目くらいになると自分が立って歩くのがやっとです。牛歩のような歩みで、支援のお坊さんたちに囲まれて井戸を往復します。そのときお坊さんたちがとなえるのが、不動明王の真言です。地から涌(わ)くような低い声で「のうまくさんまんだ……うんたらたかんまん」ととなえながら修行僧をかこんで歩きます。
 大勢の信者が、早朝から井戸と根本中堂の間の沿道に並んで、修行僧に手を合わせます。ビデオを見るだけで命が透けて見えるような鬼気迫る場面です。不動明王の真言だけが聞こえます。僧はその真言の力だけで歩いているように見えます。
               
 今年は裏山のタケノコが沢山生えてきます。去年は冬に竹を切られ、タケノコを生やす準備が間に合わなかったけど、今年は危機意識をもって早くから準備したのでしょう。去年と勢いが違います。きのうはそのタケノコや竹を刈払い機で刈ってまわりました。
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