古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

寒い日に慈眼寺に寄ってみました。

2013年11月29日 03時45分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 母・妙子さんは一週間ショート・ステイで過ごしており、きょうの午後迎えに行きます。施設の方が送ってこられると母は「見知らぬ人に拉致された」と思うので、こちらから迎えに行くことにしているのです。
 で、きのうは「明日の昼から迎えに来るからね」と伝えるために施設に顔を出しました。「明日は帰れるか。うれしいなあ」と満面の笑みでした。明日帰れるとわかっていても、ぼくらが顔を見せて「迎えに来る」と明言しないとどこか不安なのです。夜になって職員の方にせっつき、電話をかけてくることがあるのです。
 家にいると、どんなに寒くても母は外に出たがります。花バサミの入ったカゴをかかえて、裏山に出掛け、竹の小枝を切ったりします。新聞や手紙を取り込むためにポストをのぞくのも母の役目です。元気です。でもときどきショート・ステイしてもらうことで、こちらはほっとするところがあります。
 だからショート・ステイ中快適に過ごしてもらえるようにあれこれ手配します。まずステイ中に大好きな「桜」のDVDが見られるように小さいDVDプレイヤーを持参して施設のテレビにつなぎます。(トイレつきの個室で、テレビも置いてあります)また本を読みたがるので図書館で借りた〈大型活字本〉10冊近くを、母のライブラリーのようにテレビの横に並べます。(大型活字本しか読めなくなりました。)全部読むわけではありませんが、沢山本があるとうれしいのです。
 また個人用のおやつ箱を部屋に置かせてもらい、自分で食べられるようにしています。暴飲暴食はしませんから安心しています。食事がすすまないときは奈良漬や小梅の梅干などをとれるよう職員の方に託しています。
「また顔を出すからね」といってもすぐに忘れるので、大きな字でノートに書いておきます。それを出して読み、いわれたことを思い出すように。そのノートももう4冊目になりました。また兄弟に日程を知らせておき、ステイ中にできるだけ顔を見せてもらうように頼んでいます。こちらもなるべく一日おきに顔を見せるようにしています。
 恵まれています。母は、まさか自分が百歳を越えて生きるとは思わなかったでしょう。でも彼女の人生はなぜかこんな展開になっています。
 あれはぼくが22歳になった秋の暮れでした。まだ学生でした。母は医者に〈肝硬変〉といわれ、死を覚悟しました。「いたらぬ親であったけれど、員数外になってしまった」と下宿先に手紙をもらい、返事を書こうとして書けず泣いてしまったことがありました。
                  
 いろんなことを思いながら施設から帰る途中、三木の紅葉の名所のひとつである『慈眼寺』に寄ってみました。寒い日でしたが紅葉を見に立ち寄る人たちとよく出会いました。
 人にはそれぞれ寿命がある。
 わかります。
 自分の人生はどんなふうに展開するか。
 いくつになってもわかりません。    つくづく思います。
 
コメント
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