ブロックを積んだ畑の焼却炉の横に、古い材木の山ができています。製材所(元)の廃材をもらいました。畑のゴミを燃やす燃料にします。その向こうに写っているのは畳一畳大の生ゴミ投入箱で、やはり製材所(元)の廃材で6年前につくりました。製材所(元)にはいっぱいお世話になり、この畑のお陰で豊なに田舎暮らしをしています。
図書館で借りて、ねじめ正一の『二十三年介護』(新潮社・2000年発行)という本を読みました。
ねじめ正一のお父さんが脳溢血で倒れました。お母さんは家族に助けられながら23年間介護しました。夫を看取ったあと息子・ねじめ正一のすすめで「介護の手記」を書きました。それに作家のねじめ正一が解説をつけた本です。
一読に値するかどうかわかりません。でも発行後しばらくして文庫本になり、広く読まれているようです。
ぼくの感想。
さすが作家です。母をうまくリードして手記を書かせ、介護の様子がよく伝わってきます。お母さんもよく伝わる文を書く人です。23年におよぶ父の介護となると、家の経済や家族の人間関係などいろんな問題がからんできますが、読者がいやな気持ちにならないよう整理して生身の人間像を伝えてくれます。
介護中に父はまた脳梗塞になります。そのお父さんに『胃ろう』手術を受けさせ、お母さんは在宅介護に踏み切ります。それから介護は9年つづくのです。なんともいいようがありません。つよいお母さんだったから介護・看護ができたのでしょう。その〈つよさ〉はよかったのか。どうなのか。
むかし同窓会で話していたときある友が「『胃ろう』の手術をしたら、意識なんかなくても、なんぼでも生きるでな。あんなことするもんでない」といったのをつよく覚えています。
本文より引用します。
「後悔なんてあるわけないよ。お父さんはいのちの最後の一滴まで使い果たして亡くなったもの」
長い間寝たきりで亡くなって、親父には後悔はなかっただろうかと訊ねたとき、二十三年介護の母はそう答えた。
晴れ晴れとした答え方であった。