古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

小説家〈吉村昭〉のエッセイより

2023年07月12日 02時42分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 小説家・吉村昭のエッセイ集『私の好きな悪い癖』(2000年刊/講談社)を読んでいて、「さすがだな」と感じたことがあります。引用します。


 ふと、思いがけないことが胸に浮かんだ。それは「季刊文科」という文芸誌で大内昭爾、秋山駿両氏と「文学のゆくえ」という題で鼎談した折の記憶であった。その鼎談で、私は三島由紀夫のことについて、こんなことを語っている。
「『金閣寺』は三島さんの絶頂期の作品ですね。見事な傑作ですが、あのあと『鏡子の家』というのをお書きになって、前後二冊の単行本で出されたが、前篇を買って五分の一ぐらいでやめちゃった。『金閣寺』の文章とは違うし、内容もだらけていた」
「金閣寺は傑作だけど、あの中に、確か『しみじみ』という言葉があったんだ。あれ、僕は嫌だったな。あの人が『しみじみ』って書いちゃいけないんじゃないかと」
 この感想について、秋山氏は、酩酊していたからだろうが、面白いといった類のことを繰り返し口にした。


 ぼくはブログに書いたことがあります。
 道場洋三が朝のラジオで「誰かの文を引用した放送」を、いまでも覚えています。こんな文でした。
「むかし自分が書いた文を読み返していたら、〈三年の歳月が流れた。〉と書いている。どうして〈三年たった。〉と書かなかったのだろう。大いに反省した。」
 新聞の『天声人語』でフランスの作家が書いた文「文章は形容詞から腐る」も印象に残っています。
 吉村昭の小説家としての感性に、ぼくの針が振れました。

 吉村昭は『戦艦武蔵』を書くにあたって、100回超長崎に取材に行ってます。そのことがいま読んでるエッセイに出てきます。彼は真実だけを書く作家です。「こんな作家はもう出ないだろう」とどこかに書いてありました。
「読もう」と思ってまだ読んでない『戦艦武蔵』を読みます。

コメント
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