古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

燃やしても燃やしても。

2013年09月14日 06時48分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 燃やそうと畑の墨に積んでいたトマトの茎から、白い根が出ています。何もない茎からこんなにたくさん発根するのか。トマトのたくましさには感心します。
 サツマイモを試掘しました。カナブンの幼虫がかじってる芋があり、早めに掘ったほうがよさそうです。出来具合はまあまあか。
① 安納芋 …… 例年のようによくできています。去年はイノシシにこっぴどくやられました。ことしは無事です。でもカナブンの幼虫は容赦してくれません。
② ベニハルカ …… 「安納芋よりハルカにうまい」と苗屋さんが自惚れてつけた名前ですが、クリーミーな甘さは安納芋とチョボチョボです。ただ試掘した限りでは芋の出来具合がよくない。それに行儀がわるい。つまり畝の中央にかたまるのでなく深いところにできたり畝の横のほうにできたりで、掘るのに苦労しそうです。
③ ナルトキントキ・ベニアズマ …… ナルトキントキは「ベニキントキ」という呼び名もあるそうで、二つは同じような色と食感です。まだ大きくなっているとはいえませんが、もう焼き芋や天ぷらなどの料理に使えます。ふつうの出来具合。
④ タマユタカ …… 干し芋用というのではじめて植えてみました。茨城県ではサツマイモは7割この品種を植えるそうですが、甘さはイマイチとか。だから10本植えただけです。まだ掘ってないし期待もしてません。タマユタカくん、ゴメンね。
 しかし名前はよくありませんな。「タマユタカ」って大豆の品種みたい。どうだ、改名しないかね?
 さて、芋を掘ればツルを処分しなければなりません。
 いままでサツマイモのツルは「押切り」で切り刻んで畑に梳き込んだこともありますが、燃やして処分するのが一番簡単です。でもなかなか乾かないし燃えにくい。だから生のツルを竹や材木を燃料にして一気に燃やします。その前に〈刈った草・トマトの茎・スイカやカボチャのツル〉など燃やすものが山ほどあり、雨が降る前に片づけようと毎日燃やしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刈りたての清清しさが好きです。

2013年09月13日 02時50分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 6年前この畑をつくらせてもらうことになった4月、まず草刈り機を買いに行きました。ぼくにとって2台目の草刈り機です。
 26CC・パワーのある草刈り機を選んで、この6年毎月のように草を刈ってきました。ブログにも何度も写真を載せて、見ていただきました。それなのに懲りないでまたアップしています。ごめんなさい。
 「清清しい刈りたて」の土手を眺めるのがとてもうれしいのです。その気持ちが草刈りのエネルギーになっています。はじめは「なんでこの畑だけ複雑な曲線になっているんだ。ふつうの土手のようにまっすぐでないんだ」と思いました。
 しばらくするとわかりました。大雨が降ったとき下の家に水が流れないように道路の下を太い土管が通っているのです。水の勢いを殺(そ)ぎ、道路の右の溝に流れるようにしてあります。
 このスロープ。いかにも道をホロホロ歩く村の人が、プラッと土手を上って畑に入るよう誘(いざな)っています。これくらいのスロープなら杖をつくご老人でも「ちょっと上ってみよう」という気になります。見知らぬ人が移り住んで、見なれぬ胡麻や落花生や蒟蒻(こんにゃく)などいろいろつくったり、ときにレンゲを蒔いたりする畑が「どうぞ見てください」と気持ちをひらいているようです。
 もし「おまえの畑で30分以内に300匹の蛙を捕まえよ」と指令が出たら、「ハイハイ!」とたちどころに任務を果たすでしょう。それくらい蛙が多い。ぼくが精出して草を刈るものですから、その蛙が生存するためにはムシをせっせと捕らねばなりません。むかし訪中団で中国に行ったとき映画を見せられ、「蛙はひと晩に80匹のムシを食べる」と教えられました。
 で、道子さんの言うには「夜盗虫が卵を生みつけそれが爆発しても、どうも夜盗虫の数が少ない。だいぶ蛙や鳥や蜂に食べられてる」そうです。
 蛙をねらってときどき蛇も見ます。でもマムシのように同じところにいないからそのままにしています。ヤマカガシだったら殺したほうがいいのかなあ。きのう見た蛇は、ヤマカガシのような、ちょっとちがうような感じでした。アオダイショウやシマヘビならそのままにしておくのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい病院を見学しました。

2013年09月12日 03時07分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 三木市民病院と小野市民病院が閉鎖され、10月1日から『北播磨総合医療センター病院』になります。きのうはその見学会があり、村の人たちと公民館に集合しました。バスで見学します。
 あちらこちらの市民病院が閉鎖に追い込まれる時代に、最新の理念と設備の公立病院ができたのです。
 病院に着いたらまずエレベーターで6階ロビーに案内されました。
                 
 三木や小野には6階もある高い建物はないので、参加したおじいさんもおばあさんも、しばし外の景色に見とれています。病室も見せてもらいました。写真は4人部屋です。ここにベッドが置かれてカーテンで仕切ります。ベッドのまわりは広々としており、まるで個室のようです。
                 
 小野市は「街路の花や公園の緑化」が有名だそうです。西宮の友だちは「老人会のバス旅行で見学に行った」と話していました。この病院の植栽にもその意気込みがうかがえます。2年もすれば緑にかこまれた「癒しのスペース」になるでしょう。終末ケアの病棟もあるそうです。
 見学はすぐにおわり、4時からは畑に出ました。リコリスの咲くところはすべてきれいに刈りました。これで9月の草刈りはおしまいです。
 リコリスくん、10月中旬まで草を刈らないからいつ咲いてもいいよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リコリスが目立つように草を刈りました。

2013年09月11日 04時20分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 テレビでリコリス(満珠沙華・彼岸花・あるいは鳥取県中部の呼び名では「舌曲がり」・その他全国に900の「呼び名」がある花です)が咲いたと報じていました。草刈りを急がなくては。
 リコリスは9月中旬からお彼岸にかけて満開になる花とされていますが、近年夏の暑さが強いために、涼しくなるのを待って遅れて咲くようになりました。今年の夏も猛暑でしたから「また遅れて、10月になってから咲くだろう」とナメていたら、このまえの雨で急に涼しくなりました。
 で、きのうはいささか慌てて土手の草を刈りました。
 うちの畑のまわりには500個のリコリスを植えています。4辺170メートルある畑の3辺の土手に。植えて4年目になるのですが、ようやく「ハハーン! 畑をリコリスで縁どりしようと植えたな」とわかる程度に咲くようになりました。
 9月の草刈りを遅くすれば、生えてきたリコリスの頭を刈ってしまうことになります。いまは地面の数センチ下で咲くのを待っているでしょう。
                 
 きのう草刈りをした土手の写真です。植えたときなかった電気柵があり、防草シートがあり、様子は変わっていますがシートの左、土手の肩あたりに満珠沙華の花列がもうすぐ見られるはずです。
 道路沿いの1辺がまだ残っていますので、きょう刈ります。
 きのう、足場の上半分を刈りながら気づいたことがあります。(土手の斜面が長いので途中に足場板をつけています)きのうは草刈り機に混合ガソリンを満タンにして土手に取りついたのですが、そのままの勢いでタンクが空になるまで90分刈りつづけました。リコリスの花道だからていねいに刈ってあげようと思ったのです。
 草刈り機のガソリンが切れたので、軽トラのところに補充に行きました。お茶を飲み、給油しようと体を動かすのですが、全然思うように動かない。
 そうか。「老化した」というのは「疲れたことを認識する感覚」が老化したんだ。草を刈ってる間は惰性でそのまま動くけれど。
 草刈りをやめてゴミ燃やしをしました。
 熱中症になったり、急に倒れたりするのは、「疲れてもう限界だ」と認識するセンサーが老化しているからなんだ。頑張るつもりはなくても、鈍いからついつい働き過ぎてしまうんだ。
 ふだん頑張らないで生きてるぼくが、なんできのうはあんなに頑張ってしまったのだろう。反省しました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩がてら全戸にチラシを配りました。

2013年09月10日 04時58分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの村の老人クラブで「ラフター・ヨガ」(笑う健康教室)を計画したのですが、農繁期と重なるので11月に日延べすることにしました。その「お知らせチラシ」を全戸に配ろうと、きのうは二人で散歩がてら歩いて出掛けました。
 うちの村は市役所の統計では現在60世帯あります。でも実際の戸数は40数軒です。「○○さんの家はどこ」と一応わかるようになりましたが、まだ全戸を歩いたことはありません。いい機会なのでゆっくり庭先を眺めながらチラシを配りました。
 この村に移住した頃、村の人とおしゃべりをしてたら「昔はぜーんぶの家がわら屋根だった」と聞きました。いまもわら屋根の家は数軒ありますが黒いトタンの波板でおおってあります。しかし一軒だけ純正わら屋根の家があります。手入れの行き届いた庭を見たいとかねがね思っていましたので、この家にもはじめて寄せてもらいました。
                  
 ちょうど家の人が出てこられ、お茶をいただくことになり、なにかの縁で親しく話をさせていただきました。この「なにかの縁」っていい言葉ですね。気に入ってます。
 若い頃は「袖摺り合うも多少の縁」と思っていました。しかしなにかで読んだら「他生」の縁と知りました。「今生」だけでなく「別の生」でも縁があった。そのうちに〈タショウ〉とは「多生」であると聞きました。
 この歳になってもまだ新たな縁がある。
 なーんか不思議な気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いまの超高齢者にはいい時代になりました。

2013年09月08日 05時10分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 100歳になった母を、金曜日ショート・ステイに連れていきました。6泊7日の滞在です。便所や洗面所がついている個室で、彼女の好きな〈桜〉のDVDが見られるようにプレイヤーを持参して部屋のテレビにつなぎました。図書館で借りた本も数冊持たせました。彼女はいまは大型活字本の中でも、ゴチックの太い活字の本しか読めません。いままでの明朝体の少し小さい大活字の本は読みにくくなっています。
 ところが太いゴチック活字の本は、図書館にもまだそんなに多くないのです。あっても池波正太郎の『剣客商売』とか母が絶対読まないような本です。選んで借りるのに苦労します。
 おかずが好みでないと食べません。ご飯は食べられるように、彼女の好きな漬物数種を詰めた容器も職員の方に託しました。様子を見て、ご飯に添えてもらいます。空腹時におやつを食べられるように、好みを考えてお菓子類を選び、箱に詰めて部屋に置きました。母は自分の健康維持にとても気を配る人で、暴飲暴食は絶対にしません。でも箱は空になりますからおやつは食べているようです。
 母は里心がついて「なんで私がここにいないといけないのか。帰りたい」と職員によく言うので「そのときはこのノートを見せてください」と頼んでいます。ノートには「今度は明後日様子を見に来ます」とか親類縁者の消息とか、「用事があって出掛けるからショートステイを頼んでいるんだよ」とか書いて、母が見られるようにしています。(近頃は書くことがなくなり苦労していますが)そしてほぼ一日おきに顔を見せて、おしゃべりをして帰ります。
 それでも彼女は不登校の子どもが渋るように、ショートステイに行くのを渋ります。そりゃ家にいたほうが気楽で快適でしょう。でも……。
                   
 母をショートステイに連れていき、その足でカーテンを買いにホームセンターにまわりました。途中昔の国鉄・三木駅跡を通ったらにぎやかです。駅前の広場にちょっとだけ人があつまり、太鼓の音が響き、出店が数軒出ています。写真はその駅前です。寂びれてささやかですが、田舎町にしてはちょっとした〝人寄せ〝です。
 母をショートステイに託してホッとするこの気持ちをどう考えたらいいだろう。
 ささやかな自由を得たような解放感。母は身辺自立しており、便所に自分で行き、自分で食べます。自分でテレビを見て本を読んで庭に出て草を引き、自分で寝ます。でもぼくらにはショートステイはありがたい。
 いい時代になりました。
 ふと知人を思います。彼女は「16年間母を介護して看取った」と聞きました。自分の人生の大事な時期を、母の介護に捧げた。あの時代はおそらく一日・一時間の空白もなく。ずっと張りつめた、息の抜けない介護だったのではないか。ちょっと息を抜こうとすれば全部が崩れてしまう剣が峰を歩きつづけたのではないか。
 デイ・サービス。ショート・ステイ。送迎の車をよく見ます。多くの人の「ホッ!」が聞えるようです。
 そしていずれ遠くない日に、ぼくもお世話になるでしょう。やっぱり人間社会は進歩していると信じたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洋服箪笥って結構邪魔ですね。

2013年09月07日 05時02分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家にも『洋服箪笥』があります。
 娘が結婚前に使っていたのですが、田舎に引越すときもそのまま持ってきてしまいました。大きな場所を占める家具だし、服はあまり入らないし、家具の前にコタツなどがあると使いにくいし、「なんとかしなくては……」とこの7年間考え考え暮らしてきました。
 そして〝機が熟して"というか"魔が差して"というか、「洋服置き場をなんとかしよう」と本気になり、三日ほどで『簡易クローゼット』を製作いたしました。幅270センチ。奥行50センチ。カーテンで仕切ります。ジャーン!
               
 よく入ります。でもこの写真を撮り夕食を食べてしばらくしたら、ほぼいっぱいになっていました。これからは服の第二次『断舎利』をしなければ。
 なにかのときに着るかもしれない〈一張羅意〉の背広は夏・冬一着だけ。それに主に葬式用の略礼服が夏・冬一着。他はほとんど捨てたのですが、忘れていた外出着や普段着がぞろぞろ。「人間って結構いろんなモノを着るもんだ」と服にこだわらないつもりのぼくさえ、感心してしまいました。
 日本中の不要な洋服を集めたら物凄い山になるでしょうねえ。それを欲する人が世界には沢山いるでしょうねえ。それと、いまでも洋服箪笥って売れているのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨で畑仕事ができません。なんだかもの足りなくて。

2013年09月05日 02時55分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 三木市のほうは「大雨洪水警報」が出たりしてずっと雨が降っています。だから畑に出られません。きのうも家でゴロゴロして夕方外を見たら、虹が出ています。
 虹を端から端まで撮ろうとしましたがうまく入りません。どっちの写真を載せようかと思案して、これにしました。「あしたは晴れてほしいな。龍神さま、そろそろお休みください」なんて思いながらしばし虹に見とれていました。
 テレビで田舎の景色が出てくると、なんとなく「いい感じだな」と眺めます。何の変哲も無い田舎で、ただ山があり川があり田んぼがあり家があるだけの景色でも。ずっとそうだったのか。田舎に暮らすようになったからそうなのか。
 7年前引っ越したとき、街に暮らす人にいわれました。
「年をとるとみんな田舎に憧れるのよ。なかなか実現できないけど、田舎に暮らしたいと思ってるのよ。それを思い切って実現するんだから、あなたはえらい!」
 えらいとは思いませんが「引っ越してよかった」と思うことはこの7年間にたびたびありました。
 夕方のこんな眺めも、そんなことを思うひとときです。
        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑が〈いい土〉になりました。

2013年09月03日 03時06分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 左のアーチ型は山芋のツルです。右は胡麻を収穫したあとの畝です。この畝は、道子さんがクワと手だけで整えました。耕耘機は一切入っていません。
 まずゴマの根を取り除きます。ゴマは細かい根がひと塊りの土を抱えているのでそれを叩いてほぐします。それから草を抜き、草の根も取り除きます。次に有機石灰を撒いてレーキで土と混ぜ、最後は掌で土をなでるようにして畝を整形します。
 15メートルの畝に2時間とりついて仕上げたそうです。
 この田んぼは圃場整備をして20年ほど。水漏れがひどいので米をつくったことはないそうです。草の茂るにまかせた年、黒大豆を播いた年がありました。しかし播くだけで除草剤・農薬・化学肥料を施すことはありませんでした。
 2008年の春、うちで作らせてもらう話になりました。以来毎年土に入れるのは、豊地農協で購入する〈燻炭〉、コープ瑞穂農園でもらう堆肥、フジワラファームでもらう鶏糞、有機石灰。土にいいものばかりです。
 土の団粒化がすすみ、手でさわると「いい土になったなあ」とにんまりします。
 写真では感触がわかりません。来てさわっていただくと、「いい土だ」と感じられるでしょう。街から野菜づくり見習いに来ている青年が、日曜日なので遠くに写っています。菜園作りははじめてですが、近頃は素手で草抜きや土ほぐしをしています。土の感触を慈しんでいるのでしょう。
 ぼくも大豆・黒豆の苗を植えたとき、素手で土を掘り、苗を植えました。黒マルチをかけておいたやわらかい土をひと掻きして穴を掘り、苗を植えて両手のひらで土を寄せて固める作業を、ほんとに気持ちよくやれました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする