古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

いろいろと考えます。

2013年09月22日 05時08分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 5年まえ、休耕田を借りて畑をつくることになったとき、土手の草刈りを考えて竹のフタをつけました。1,5メートルに切った竹を並べて針金で編んだフタです。それが腐ってきて、先日草を刈っていたとき踏み抜きそうになりました。落ちてもせいぜい50センチほどの水たまりです。でも落ちたくはない。そこで写真のようなフタをつくりました。足場パイプを渡し、製材所(元)でもらった廃材を切って止めたフタです。
                 
 これだと10年はもつでしょう。
 10年たつとぼくは85歳になる。まだこの世にいるだろうか。まだこの畑をつくっているだろうか。ま、どうなるにしても、ここのフタのことは以後放念できる。
 いつごろからこんな思考をもてあそぶようになったでしょう。
 3年まえウッドデッキに屋根をつけてポリカーボネートの波板を張ったとき、「この波板は10年もつ。それだけもてばもう張り替える心配をしなくていい」と思いました。
 また今年、小屋の屋根を下地防水材『モラサン』に張り替えたとき、「これだと10年は大丈夫だろう。もう手をかけなくていい」と思いました。
 でも、人生はわからんものです。
 父は米寿を祝ってもらってしばらくして肺炎で亡くなりました。84歳になっていたひ弱な母は、「ほどなく自分の番がまわってくる」と思ったようです。3年後に遺書のつもりで出版した随想の本にこんな´あとがき′を書いています。

 この世を去るにあたって、お世話になった方々、語り合った友だち、そしてわが親族のみなさま、子たち、孫たち、曾孫たちに御礼申し上げます。
 みなさま方の愛念により楽しく生きさせて頂きました。我が儘な私と長くつき合って下さいましてありがとうございました。
 往時をふりかえり、私は今こころ満たされております。  ……  ではみなさま御機嫌よう。

 で、この本を出した日付は2000年9月。あれから、父の3回忌が過ぎ7回忌も過ぎ13回忌も過ぎ17回忌も過ぎてしまいました。そして母は100歳になりました。本人もこんなつもりではなかったでしょうが、人生は「どうなるかわからんんもんだ」です。
 人の《寿命》はそれぞれにもう決まっているのだそうですが、わかったような顔して先先と考えるのはやめないといけませんね。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする