10月13日 玉川上水に親しむ会の例会は、羽村堰見学から正式スタート。
駅に来るより羽村堰集合の方が近いMさんの案内です。
しかし、目に飛込んできたのは、完成したと風の噂に聞いていた投渡し堰が、未だ構築中!!
手前の二つは丸太やそだが附いているが、左の一門には未だ!!
丸太を立てているようだ。
技能継承の為、ベテランと若手の共同作業をする事もあると聞いた。
中央の堰
一番右の堰
地元にお住いのMさんにも珍しいらしい投げ渡し堰の構築風景
参加者一同 声を上げて感激、感動の一瞬!!
遠くから見ると、見ているだけの作業員が多い気も、・・・・。
多摩川と第2水門なので囲まれた休憩地で、写真など見せて頂いて説明を受ける。
玉川上水兄弟碑、後ろも
棄てられたかのように置かれた鉄工は、投渡木(なぎ)の代りに造られた鉄工製の投渡木
これで垂直に立てられた丸太を支えるそうだ。
そして今日は、多摩川の逆側へ回り、固定堰の見学がある!!
堰下橋を渡る中程から、構築中の投げ渡し堰を見る。
ワイドでも撮影
左に写る丸太は、払われた丸太
橋下橋 下流側にも流された丸太が残っている。
多摩川右岸に渡り、羽村市郷土博物館近くまで遡る。
堤防を下り、林の様な場所を抜け、
バーベキューを楽しむ家族の脇を通り抜ける。
この巨大なコンクリート部分が固定堰と言われて居る。
(明治38年頃、長さ594mのコンクリート固定堰に作り替えられたそうだ)
魚道らしいが砂利が詰っていて理解できず、・・・・。
下へ行ってみる
どう言う仕掛とアイディアなのか?
足元の銘板
凄いアイディアなんだろう。後で調べてみよう。
堰の間近に到着
こちらから見た方が、間近でハッキリ見て取れる!
先程まで作業していた人達は居なくなった。
何時頃完成するのだろう? 完成した頃に又見てみたい!!!
第一水門の全容
左側の4門は1924(大正13)年の増設、右側の5門は1900(明治33)年に造られたとのSさん作成の資料解説。
筏通し場も見る
そして、記念に、払われた羽村堰をバックに1枚
現在も固定堰の上に活用されている牛枠
固定堰を付け根まで戻り、多摩川が丸山にぶつかりほぼ直角に流れを変えて所に羽村堰があるとの解説
案内のMさんの関連深い郷土博物館へお邪魔
更に堰の案内を受ける
左の山が丸山(草花丘陵)、細長く伸びているのが先程歩いた固定堰!
流石に分り易い案内。
巨大だが実物の三分の一と言われる堰の模型
案内パネルにも如何に分り易くが見て取れる。
羽村~四ッ谷大木戸までは43km、高低差は92m。
換算すると、1km進むのに2mの落差しか無い。
100m掘進んで、21cm差を維持しつつ43km!!!
巷に言われる二度の失敗堀なんて有る訳無いでしょう!!と言う数字に見える。
しかし出口では、
館長開催のイベント案内が掲出
館長大丈夫ですか?
杉本苑子さんの「玉川上水」のCMでは無いですよね?!
緻密で正確な方や、勢いで解説される方、色々あるけれど
小学生の将来に関わる事については慎重で、正確で有って欲しいと願う。
堰下橋を渡り、玉川上水路側道を下ります。
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16日は、6、465歩 歩きました。