夜の時間帯がどんどん長くなっている。
冬至まで、まだまだ長くなる。
そのせいか、物思いにふける時間も増えてきた。
・・・・・・
数十年前、自分の努力でどうにもならないことは、祈るしかないと気づいた。
ただ、「困った時の神頼み」的な信仰なので、信者とは言えないのかも知れない。
それでも救われた場面を思い出しては、感謝の気持ちを忘れないようにしている。
・・・・・・・
ここ10年ほどを振り返ってみても、子や孫が救急車で搬送されたりしたことが何度もあった。
その都度、気が気でない不安で慌てふためきながらも、必死に無事を祈りながら救急車を車で追いかけた。
救急車を呼ぶより自分の車で走る方が早いと思って、必死に無事を祈りながら病院に走ったこともあった。
信者だから、漠然とした「神様・仏様」ではなく、信仰する神様に必死に祈った。
願いは通じると信じきって、ひたすら祈った。
きっと、神様のご加護があると信じているから、自分の不安な心も落ち着きを取り戻すことができた。
子や孫が無事だった時、神様のお陰だと感謝した。
子や孫を守れたと思うことで、自分の心も救われた。
・・・・・・・
気ままな信仰ゆえに、「心のありよう」の知識はあっても日々に生かされていない。
怒り・憎しみ・苛立ち・不安・悲しみ・悩み・欲望・傲慢などの悪想念は、我が魂を汚す。
魂の汚れは我が身に悪影響を及ぼす。
悪想念を一掃し、心の中が清らかでなければ、神々の波長とは合わず「神様のご加護が受けられない」とも信じている。
・・・・・・・
それでも、日々の中で悪想念が湧きおこることが、しばしばある。
何かの拍子でそのことに気づいた時、反省し、心の汚れを落としにかかる。
そんなことを繰り返しながら、年老いていく自分がいる。
我が想念を管理しきれない自分を嘆き、反省するばかり。
夜長に感謝している。