故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ビジネスモデル

2015-05-26 05:25:41 | プロジェクトエンジニアー

あゝ定年 これから妻が 我が上司

第一生命保険の第28回サラリーマン川柳コンクールの
上位10選に選ばれた作品です。

永年サラリーマンをされ、やっとあの上司から解放されると
思うのも当然のことです。
待っていたのは、かみさんが君臨する家庭に入ることです。

折り合いをつけるのはどちらも同じように労力が必要です。

私は、あるAV監督のことばを思い出します。
「やらせていただく」気持ちで接します。
朝からこんなことを書くのは気が引けるのですが、
的確な例えとして引用させていただきました。

人間どこかに驕りがあるものです。
自分が稼いだ金で、お前たちは生活ができているんだと。

大事な家庭を必死に守って来てくださったのは、妻です。
私達は、そのお蔭で憂いなく思う存分仕事が出来たのです。

家庭で上下関係はないのです。
私達は、料理を教えていただいたり、洗濯物のたたみ方を
妻に教えていただかなければならないのです。
料理をする妻のそばで、洗い物をさせていただくのは、
当然のことです。生活の場の師匠です。

永年苦労してきた俺様のために、感謝のお茶を淹れるのは
当たり前とどこかで思いがちなのです。

さて、今日の本題の「ビジネスモデル」について書きたいと
思います。

提案書(見積書でも良い)の中でよく見かけることがあります。
自分の得意なこと(自社の技術、自分の得意なスタイル)を売る姿勢です。
自社技術を売ることが目的の提案書です。

顧客が求めているのは、
「価値の創造」です。
技術そのものを求めてはいないのです。
コピー機を売る時代ではなく、コピー1枚はいくらの時代です。
課金制度を売るのです。高性能のコピー機は高価です。
鮮明な画像で、しかも速く印刷でき、多機能です。
顧客はその良さ(使う価値)を求めているのです。

つまり、「売っちゃるけん。」では通じないのです。
ルートセールスで人間関係を維持する「御用聞き」的な
ビジネスモデルも厳しくなってきました。
インターネットで簡単に価値を検索できますから。

「やらせていただく」的な感謝の念があって丁度よいのです。
女性は、テクニックや素晴らしい道具を求めてはいないのです。
結びつき、心の癒しを求めているのではないでしょうか。

以前、食品スーパーの「PCセンター」を提案したときのことです。
総菜などの下ごしらえや包装を店舗のバックヤードではなく
PCセンター(工場)で生産することです。

食品スーパーの役員の方に、
御社が、他の食品工場で実施した
ソリューションの成功例を話してくださいと言われました。
私達は、その良さを取り入れられるか判断します。とも。
つまり、価値の創造が可能か判断するということです。
反面、素人のあなた方が提案される
テクノロジーの売り込みは必要ないと言われているのです。

私は、視点を変えること(PCセンターで何をどれだけ作るか)で、
利益がこれだけ上がります。という提案をしました。

私達は、これから家庭に入ります。
奥様、不束者(ふつつかもの)ですが、ご指導くださるようお願いします。

教えてね 炊事洗濯 喜んで

2015年5月26日
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個性を伸ばす

2015-05-25 10:01:14 | よもやま話
  家庭菜園の収穫
  
初めの子は、手塩にかけて育てるのです。
手をかけてはいるようですが、今一つです。
両親も新米ですから。

二番目、三番目ましてや四番目ともなると、
ほとんどほったらかしです。
でも、どの子も良く育つのです。

親に力があると、子供は恵まれた環境で育ちます。
貧乏長屋では、それなりです。

一番の肥料は、足音です。

水は足りてるか、虫はついていないか。
病気になっていないか。いち早く気づいてあげることです。
そしてなにより、どうしたら良いか対処方法を知っていることです。
知らない場合は、教えてくれる人が近くにいることです。

殿さまには、頭の上がらない家老がいます。
長屋には、物知りの爺様がいます。

個性を伸ばす。

環境が同じでも、育つ子供は色々です。
勉強ができるのが良いとは限らないのです。
試験の結果でしか、自分の立ち位置が判断できないからです。
東大の図書館には、試験を受け続ける卒業生がいます。

親の鉄工所を継ぐために、高校を出て働く人もいます。

昨日食べた山ウドは、苦味が効いています。
それも良しです。適切な料理方法をすれば美味しいのです。

親も、子供もいろいろです。
個性が違うのだと分かってあげることです。
その個性を伸ばしてあげることです。
私達には、ちょっとしたことしかできません。
ほとんどは、本人が勝ち取ることです。

意見を聞かれれば、話してあげることはできます。
その準備だけは怠りたくないものです。
どうしてそうしてきたのか、学ぶことは今でもたくさんあります。
今頃になって、気づくこともたくさんあります。
出し惜しみは何もないのです。精一杯でちょうど良いのです。
悩むこともありません。先人達も足りないことばかりだったのですから。

末娘が、これからの人生を彼女なりに考えて、夜学で勉強しようとしています。
20歳を過ぎて、働きながら通うのですから自分の道を考えてのことだと思います。

絵手紙の苺は、不揃いです。
どちらも食べてみました。それぞれ個性的なおいしさでした。

頑張れとささやかにエールを送りたいと思います。

大荷物 どしても巣まで 運ぶあり

2015年5月25日
 



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2015-05-24 05:19:36 | よもやま話
  
 
「生」という字の読み方は数多くあります。
今日は、「なま」に挑戦します。

生出演。
生のトーク番組について、書いてみたい。
毎日のおしゃべりではなく、不特定多数のひとの前で話す時のことです。
落語の枕で、噺家が時事のこと、季節のことや身の回りのできごとを話します。
落語に入るふりであったりします。

プレゼンテーションでこんな風に入ることは滅多にありません。
いきなり本題の場合が多いのです。
どうでしょう。
落語の枕のような入り方で、話し始め
米丸師匠のように、それだけのことです。とオチを話してみたいものです。

生出演。
表情が映り、服装の趣味が見え、なにより人柄がでます。
どんなに計算した演出をしても、ひととなり(人柄、からだつき)は隠せません。
ライブであればなおのこと、その日の体調も影響します。

どんな時も生出演のような人生を送りたい。
明日はないような、今あるそのままです。
一見では、人の歴史は見えないものです。
どうしてかなと掘り下げた時に、現れる御里(素性、経歴)です。
つまり飾らない話しぶりです。
これは、一朝一夕で造れないから面白いのです。
すべてがさらけ出されても良いという覚悟です。
謙虚にならざるを得ないのです。
知らない、至らないことばかりです。

出会いがしらで意気投合するような人生があるのです。
きっと、生き様が言葉の端々、刻まれた表情ににじみ出るからでしょう。
それで良いのです。隠す必要なんかないのです。

少し美人ではない人(どんな人のこと)は、飾らないから素敵です。
素敵なところを探そうとします。
格好良い美人は損です。どこか粗はないかと探されます。
どちらの人も、人柄となると別な次元です。
見てくれに関係なく、その人なりの良さが輝いてきます。
歳を重ねるほど、ひととなりは年輪のように顔に刻まれます。
隠しようがないのです。
内面から出てくる魅力は、色気であったり、活気であったりします。
日々、そんな表情に出会いたいものです。

山うどの ほんのり苦味 これもあり

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ぴょんぴょん

2015-05-23 06:39:29 | よもやま話
  子供達からのプレゼント

ぴょんぴょんができなくなって、5年近くなりました。

気持ちだけでも、身軽に繰り返し跳ねたいのです。

妻が、長ーい旅から帰ってきました。
ぴょんぴょんです。

わずか一週間いないだけでしたが、疲れました。
昨夜は、よく寝ました。
今週も後半戦。
よくも毎日やることがあるものと、
追い込んでいます。
老い込んではいません。

階段をスタスタ、スタッと下りる音。
何がそんなに嬉しいのと跳ねる犬。
スキップする子供達。

やれやれという心境です。

椎間板ヘルニアと上手に付き合いながらのゴルフは楽しい。
曲がっても、ダフってもみんな椎間板のせいです。
決して腕ではないのです。なんてね。

希望の色はと聞かれ、すかさず赤と答えました。
私は、赤が好きです。
子どもの頃は、赤は女の色と決めつけていました。
茜、臙脂、紅、紅梅、上朱と色絵の具にはいろんな赤色があります。

真紅の優勝旗。
緋毛氈の怪しげな雰囲気。

赤色を見るとぴょんぴょんしたくなります。
子供達にいただいた赤い靴を履いて街を、野山を闊歩しましょう。

赤い靴 履く爺いあら こけたがな

2015年5月23日
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母の胸に抱かれて

2015-05-22 03:17:37 | 思い出話
 
あなたは ことのほか かわいく生まれました。
いつも、私のそばですやすやと眠っていました。

泣くことさえ とてもいとおしかった。

あなたは いつも私をたよりにしていました。
私は、答えることがとてもうれしかった。

弾むような気持ちで誇らしかった。
あなたに出会えたことが夢のようでした。

あなたは はしゃぎすぎて 転んだりしました。
私は 起き上がるあなたを 待ちました。

涙をふきながら 笑顔で 私をみつめていました。
あなたの瞳には わたししか 見えていませんでした。

恥ずかしがり屋の あなたの友達は 空想の動物たちでした。
舌足らずのことばで 命令をしていました。
動物たちは あなたの周りにあふれていました。

遊び疲れて眠る大きなひとみは 私をみつめていました。

うまく寝返りができないとき
あなたは今にも泣きそうなのを我慢していました。

あなたはいつか離れていくとわかっていました。
成長すればだれもそうします。

あなたの身代わりにいつでもなれると思いました。

2015年5月22日

マドンナたちのララバイを聞きました。
その歌の意味を理解しながら書いた次第です。
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