随分前から呆然と感じていますが、日本人気質に変化が生じている
と思います。
例えば、僕の子供時代なんて、勝手に工事現場に入って怪我をしたり、
公園の遊具で怪我をしたりなんて日常茶飯でしたが、自己責任であり、
「自由に入れる工事現場が悪い」「怪我をするような遊具を設置している
市が悪い」なんて話には成らなかったです。
しかし、今や、過保護なのか、危険なのものを社会から排除しようとし、
学校、公共機関、店などで権利の主張ばかりをし、身勝手で理不尽な
要求でも平然と行う社会になっているように思います。
そのニーズに応え、携帯事業者、プロバイダー事業者はフィルターを
推進し、東京都青少年条例の「マンガ規制」、玩具メーカーは食べても
安全な粘土とかまで出し、テレビは自主規制でエロや危険な番組やシーン
を排除しました。要するに、親が我が子を信じれないから、
社会が、見ない、知らない世界を御膳立てしています。
この勢いなら、格闘技、ヘヴィメタル、パンク、ヒップホップ、ゲーム、
ホラー映画、サスペンス、ニュース番組、小説なども規制をかけ、
風俗や、ポルノ、暴力などは世の中に存在しないものとして、お偉方が
言う「健全育成」の道筋に沿って、自主性や判断能力の低い子供を
量産する事になるでしょう。
何でも規制をかけたら、戦時中の検閲と変わらず、表現の自由や、
知る権利も奪われてしまいます。
「飲酒運転事故」のニュースがあった際に、飲酒運転をした加害者
や飲ませた人を責めるのが今の常識ですが、今後は、酒があるからいけない、
車があるからいけないなんて議論に成りかねないです。
何事に対しても、外的な悪影響により、現状の悪い状態を結びつけがちです
が、そんなのは言い訳、逃げ口実でしか無いです。
例えば、40歳ぐらいの人が、
子供時代に虐められたとか、人から裏切られたとか、大切な人を失った
とかを理由に、社会と遮断した生活とかを送っていても何も改善しない
し、いくらグダグダと世を恨んでも仕方が無いことです。
悪い状況は、常に問題は自分にあると思い間違いないです。
負のオーラを招いただの、前世の怨念だの、大殺戒だの、訳の分からない
不確かな物を理由づけして、納得した所で、惨めなだけです。
世の中に、不信感を持ったらキリがありません。
多分、昭和の初期あたりでも、唐津市ぐらいの田舎町だと、家に鍵がつい
ていない家なんていくらでもあったと思います。大昔から泥棒はいますが、
地域の人を信用している社会だったから泥棒対策も必要無かったです。
今は、鍵もいくつもつけ、防弾ガラス、サーチライト、セキュリティ会社と
契約、防犯カメラと警戒しまくっています。要するに、泥棒に入られない家、
泥棒されないように鍵を厳重にした自転車、万引きされないような店に
する必要性が出てきました。
実際に、ATM荒らし、自販機荒らしや、車上荒らしがいる時代だから、
被害者に成らない自己防衛は必要不可欠なのでしょう。
今は、田舎でもご近所付き合いも薄れ、身近な人以外とは交流を持たず、
子供が通りがかりのオジサンからお菓子を貰って来ても好意、親切とは思
わず、毒入りかもしれないと捨てさせるはずです。知らない人は悪人かも
知れないという警戒心を持って皆、生活しています。
それが、孤独死や、引きこもりに繋がると思います。
ご近所さんと挨拶もしないし、知らないから、ご近所トラブルも起きるのでしょう。
親しい人なら許せても、知らない人のピアノの音、ゴミの出し方、子供のボール
遊びなど、迷惑に感じてしまい、殺伐とした地域関係になると思います。
集団で群れる日本人は、バブル崩壊後あたりから、個人主義、プライバシー重視
みたいな傾向にありましたが、昨今のシェアハウス普及や、SNSやツイッター
の普及を見ると、常に誰かと繋がっていたいという孤独社会に思えます。
東日本大震災により「日本人」の絆、本質を再認識する事に成りましたが、
各々に「生き方」「家族」「仲間」「平穏な生活」「郷土愛」などを見つめ
直し、利己主義、自己中心、快楽主義、功利主義、利益至上主義、成果主義、
勝ち組思想に、暴走していた日本は、もっと本来の「日本人」としての
プライドや、アイデンティティを再構築する事でしょう。
と思います。
例えば、僕の子供時代なんて、勝手に工事現場に入って怪我をしたり、
公園の遊具で怪我をしたりなんて日常茶飯でしたが、自己責任であり、
「自由に入れる工事現場が悪い」「怪我をするような遊具を設置している
市が悪い」なんて話には成らなかったです。
しかし、今や、過保護なのか、危険なのものを社会から排除しようとし、
学校、公共機関、店などで権利の主張ばかりをし、身勝手で理不尽な
要求でも平然と行う社会になっているように思います。
そのニーズに応え、携帯事業者、プロバイダー事業者はフィルターを
推進し、東京都青少年条例の「マンガ規制」、玩具メーカーは食べても
安全な粘土とかまで出し、テレビは自主規制でエロや危険な番組やシーン
を排除しました。要するに、親が我が子を信じれないから、
社会が、見ない、知らない世界を御膳立てしています。
この勢いなら、格闘技、ヘヴィメタル、パンク、ヒップホップ、ゲーム、
ホラー映画、サスペンス、ニュース番組、小説なども規制をかけ、
風俗や、ポルノ、暴力などは世の中に存在しないものとして、お偉方が
言う「健全育成」の道筋に沿って、自主性や判断能力の低い子供を
量産する事になるでしょう。
何でも規制をかけたら、戦時中の検閲と変わらず、表現の自由や、
知る権利も奪われてしまいます。
「飲酒運転事故」のニュースがあった際に、飲酒運転をした加害者
や飲ませた人を責めるのが今の常識ですが、今後は、酒があるからいけない、
車があるからいけないなんて議論に成りかねないです。
何事に対しても、外的な悪影響により、現状の悪い状態を結びつけがちです
が、そんなのは言い訳、逃げ口実でしか無いです。
例えば、40歳ぐらいの人が、
子供時代に虐められたとか、人から裏切られたとか、大切な人を失った
とかを理由に、社会と遮断した生活とかを送っていても何も改善しない
し、いくらグダグダと世を恨んでも仕方が無いことです。
悪い状況は、常に問題は自分にあると思い間違いないです。
負のオーラを招いただの、前世の怨念だの、大殺戒だの、訳の分からない
不確かな物を理由づけして、納得した所で、惨めなだけです。
世の中に、不信感を持ったらキリがありません。
多分、昭和の初期あたりでも、唐津市ぐらいの田舎町だと、家に鍵がつい
ていない家なんていくらでもあったと思います。大昔から泥棒はいますが、
地域の人を信用している社会だったから泥棒対策も必要無かったです。
今は、鍵もいくつもつけ、防弾ガラス、サーチライト、セキュリティ会社と
契約、防犯カメラと警戒しまくっています。要するに、泥棒に入られない家、
泥棒されないように鍵を厳重にした自転車、万引きされないような店に
する必要性が出てきました。
実際に、ATM荒らし、自販機荒らしや、車上荒らしがいる時代だから、
被害者に成らない自己防衛は必要不可欠なのでしょう。
今は、田舎でもご近所付き合いも薄れ、身近な人以外とは交流を持たず、
子供が通りがかりのオジサンからお菓子を貰って来ても好意、親切とは思
わず、毒入りかもしれないと捨てさせるはずです。知らない人は悪人かも
知れないという警戒心を持って皆、生活しています。
それが、孤独死や、引きこもりに繋がると思います。
ご近所さんと挨拶もしないし、知らないから、ご近所トラブルも起きるのでしょう。
親しい人なら許せても、知らない人のピアノの音、ゴミの出し方、子供のボール
遊びなど、迷惑に感じてしまい、殺伐とした地域関係になると思います。
集団で群れる日本人は、バブル崩壊後あたりから、個人主義、プライバシー重視
みたいな傾向にありましたが、昨今のシェアハウス普及や、SNSやツイッター
の普及を見ると、常に誰かと繋がっていたいという孤独社会に思えます。
東日本大震災により「日本人」の絆、本質を再認識する事に成りましたが、
各々に「生き方」「家族」「仲間」「平穏な生活」「郷土愛」などを見つめ
直し、利己主義、自己中心、快楽主義、功利主義、利益至上主義、成果主義、
勝ち組思想に、暴走していた日本は、もっと本来の「日本人」としての
プライドや、アイデンティティを再構築する事でしょう。