古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

博物館実習が始まります

2018年10月28日 | 学芸員
 博物館学芸員の資格取得のために今年4月より通信制大学で学んでいますが、9月までの春期で8科目16単位の修得を終え、残すは博物館実習の3単位のみとなっていました。
 実習の受入れ館を探すにあたっては、まず東京23区や大阪の自宅から通える府内の歴史系博物館のホームページを片っ端から調べてみたところ、ほとんどの館での実習受入れ期間が学生の夏休み期間である8月となっていました。10月とか11月とか、8月ではない館も少しはあったのですが、いずれの場合においても申し込み期間が1月以降となっており、今年の10月以降にすぐに実習ができそうな博物館を見つけることができませんでした。
 半年間をムダに過ごして来年8月になってもやむを得ないという気持ちになる中、ダメ元で受入れ可否を問い合わせるメールを順番に送ってみることにしました。「残念ですが、、、」という返信が続くなか、大阪府和泉市にある「いずみの国歴史館」から実習受入れが可能との連絡をいただきました。嬉しかったなあ。
 館の設置者である和泉市と大学との文書を通じたやりとりによって正式に実習の受入れが決定し、さらに私自身が直接電話をかけて何度かのやりとりをさせていただいた結果、以下のように10月30日~11月4日の計6日間の予定で実習カリキュラムを組んでいただくことができました。

10月30日(火)
 ・オリエンテーション
 ・考古資料整理作業(土器洗浄)
10月31日(水)
 ・発掘調査見学(池上曽根遺跡)
 ・他館見学(信太の森ふるさと館)
11月1日(木)
 ・考古資料整理作業(土器接合・土器注記)
 ・考古資料取扱い(作品調査)
11月2日(金)
 ・歴史館特別展分析
 ・展示用梱包材製作
11月3日(土)
 ・近世資料取扱い
 ・拓本
 ・自主企画展発表
11月4日(日)
 ・文化財関連イベント
  (市史歴史ウォーク・久保惣記念美術館)

どれも楽しみでワクワクしています。とくに2日の特別展分析と3日の自主企画展発表は自分の考えを出さなければならないので今から頭が回り始めています。こんな本も買ってしまいました。

和泉市の歴史6テーマ叙述編I「和泉市の考古・古代・中世」
和泉市史編さん委員会
ぎょうせい



 この実習を受けるために4日間の有給休暇を取得するのですが、これだけ長期の休暇は30年以上の会社勤務において、新婚旅行、30周年永年勤続旅行に次いで3回目となります。ただ、この4日間の休暇が業務にほとんど支障がないのは幸いでした。というよりも実は、実習スケジュールの決定にあたって希望を伝えたところ、その希望を受け止めていただいたという館側のご配慮のお蔭です。いずみの国歴史館の皆様をはじめ、関係者の皆様には本当に感謝しております。まもなく実習が始まりますが、何卒よろしくお願いいたします。
 
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環濠集落と高地性集落

2018年10月17日 | 雑感
 今年、何度も何度も日本列島を襲った大型台風や暴風雨による河川の氾濫などの大きな被害の状況をテレビやネットで見ていて、被害にあわれた方々に対するお見舞いの気持ちを抱くとともに、不謹慎と思いながらもある考えが頭に浮かんだ。

 大自然の猛威に対して、現代の治水技術、土木技術をもってしても防ぐことができない河川の氾濫。これが縄文時代や弥生時代といった古代だったらどういうことになるのだろうか。人間が生きていくためには水は欠かせない。そしてその水の主たる供給源は今も昔も河川である。したがって水の獲得だけを考えれば河川の近くに住むのが合理的である。しかし、毎年いくつもの台風が襲来する日本列島で、河川の氾濫を防ぐための堅牢な堤防やダムを築く技術のない古代においては、河川の近くに住むことは危険極まりないことであった。ひとたび大雨が降ると河川は氾濫し、周辺のものは全て流されてしまうことになる。だから、古代のムラはたいていの場合、台地や河岸段丘の上、あるいは平地であっても微高地と呼ばれる周囲よりも少し高くなったところに設けられている。生活のために必要となる水を汲んで高いところへ運搬する労力よりも、河川の氾濫による被害から身を守ることを優先したと考えられる。

 弥生時代になると村の周囲に濠や壕を巡らせた環濠あるいは環壕集落が出現する。稲作中心の社会になって各地で集団による定住生活が定着すると、耕作地に近い低地にムラが形成されるようになる。するとムラどうしが耕作地や水資源、あるいは収穫物をめぐって互いに争うようになり、それぞれのムラは自らを防御するためにムラの周囲に濠や壕を巡らせるようなった。(水を貯えたものが濠、そうでないものを壕と表現するが、ここではまとめて濠と表すこととする。)環濠集落と呼ばれるもので、有名な佐賀県の吉野ヶ里遺跡では濠に沿って逆茂木が備えられており、環濠集落そのものが防御施設であることは間違いないと考えられる。しかし一方で、奈良県の大和盆地中央にある多重環濠集落で有名な唐古・鍵遺跡では、その環濠が浅くて防御機能を果たしえないという。この遺跡の多重環濠は河川につながっていたことから、上下水道の機能、あるいは運河の機能を果たしたのではないかと考えられる。

 そして現代における河川の氾濫による水害の映像を見て思いついたことは、環濠集落は水害からムラを守るために築かれたのではないだろうか、ということだ。現代のゲリラ豪雨のような猛威には抵抗できないであろうが、近くを流れる河川から水が溢れ出てムラを襲った際に周囲に濠があれば被害を緩和することができる。特に低地に設けられた環濠集落は敵からの防御とともに水害対策の目的があったと考えることができないだろうか。

 この発想をさらに拡げてみた。いわゆる高地性集落は実は暴風雨や大水害がムラを襲ったときの避難場所ではなかっただろうか。もちろん、ムラが敵から攻撃されたときの避難場所でもあり戦闘のための施設という位置付けであることは言うまでもない。両者の考えは矛盾するものではなく、むしろ両立するものである。高地性集落は東海地方、北陸地方よりも東側には存在せず、その分布は東海・北陸以西の西日本に限定される。これは台風の進路にあたる地域と一致している。環濠集落についても関東地方や東北地方において存在が認められるものの、その多くが西日本に分布する状況は同様である。環濠集落に関する報告書などを読むと、時代を経る中で環濠が幾度かにわたって埋められたり掘られたりを繰り返すという記事を眼にすることがよくある。これは河川の氾濫による土砂で埋まった環濠を掘り返して再建するということを繰り返したということではないだろうか。

 以上は何ら検証のできていない素人の思いつきの発想なので悪しからず。


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角刺神社・飯豊天皇陵

2018年10月10日 | 遺跡・古墳
 2018年10月6日、葛城市歴史博物館を見学したあと、博物館に隣接する角刺(つのさし)神社へ行きました。第22代清寧天皇が崩御したあと、第23代の顕宗天皇が即位するまでの間、一時的に執政者だったとされる飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が宮をおいた角刺宮の跡とされる神社です。したがって、ここの祭神は飯豊青命(飯豊青皇女)とされています。





 飯豊青皇女は天皇不在の期間に執政者だったということから、彼女は天皇であったという説があります。記紀では彼女が天皇であったとしていませんが、その薨去を「崩」と記したり、葬られた墓を「陵」と記しており、天皇と同等の扱いをしています。さらに後世の史書である「扶桑略記」には「飯豊天皇廿四代女帝」とあり、「本朝皇胤紹運録」には「飯豊天皇 忍海部女王是也」と記され、「先代旧事本紀大成経」には「清貞天皇(せいていてんのう)」の諡号まであり、まさに天皇と記されています。現在も宮内庁では「履中天皇々孫女 飯豊天皇」と称して不即位天皇として扱っているとのこと。


日差しが強くて木の葉の影で字が読みにくいですね。

小さな社殿です。




 自分の勉強が神功皇后の時代で止まっているので、この時代のことはまだよく解っていませんが、もしも飯豊青皇女が天皇であったとしたら日本初の女性天皇ということになります。記紀において彼女はなぜ天皇とされなかったのでしょうか。思いつきですが、このように考えるのはどうでしょうか。

 712年に完成した古事記は神代から推古天皇(628年崩御)までの歴史が記述されます。712年に完成したものが、なぜ628年崩御の推古天皇までのことしか記していないのでしょうか。これは古事記が参照したとされる帝紀および旧辞に推古天皇までのことしか書かれていなかったからでしょう。ではなぜ帝紀・旧辞が推古天皇までなのか。それは帝紀・旧辞が、蘇我馬子と聖徳太子が編纂して推古天皇に献上されたとされる天皇記と国記をもとに書かれていたからではないでしょうか。そしてその天皇記・国記において日本初の女性天皇は推古天皇その人でなければならなかったのです。したがって天皇記・国記の時点ですでに飯豊天皇は天皇即位の事実を抹殺されてしまったのです。よって天皇記・国記をもとに作られた帝紀・旧辞、帝紀・旧辞をもとに編纂された古事記においても飯豊天皇は天皇とされなかったのです。日本書紀において天皇でないのも同じ理由です。そのように考えると飯豊青皇女は天皇であったとするのが自然でしょう。


 角刺神社の次に向かったのがその飯豊青皇女(飯豊天皇)の陵墓とされる葛城埴口丘陵。遺跡名は「北花内大塚古墳」で、全長90メートルの前方後円墳です。



「飯豊天皇埴口丘陵」と書いてあり、宮内庁が彼女を天皇としていることがわかります。





管理棟のすぐ裏が周濠となっていて、小さな橋が設けられていて渡ろうと思えば渡れる状況です。



橋を渡って墳丘に登ってみたい衝動に駆られました。


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葛城市歴史博物館

2018年10月08日 | 博物館
 2018年10月6日、葛城市歴史博物館を訪問。奈良県葛城市忍海にある登録博物館で、2004年の新庄町と當麻町の合併によって新庄町歴史民俗資料館から改称された博物館です。



入館料は200円。入口を入って左手に常設展示室、突き当たりの左側に特別展示室があります。


常設展示は古代から中世までの歴史資料および民俗資料が展示されます。特に葛城市内の弥生遺跡や古墳から出た遺物の展示を中心に、古代寺院に関する展示、竹内街道に関する展示がメインとなっています。

縄文から古墳時代にかけての遺跡からの出土品の展示。


古墳からの出土品の露出展示。


特に興味を持った舟形埴輪の復元資料。


近代の民俗資料。


特別展示室への入口。

「『古代葛城の武人』-葛城市兵家古墳群と大和の甲冑-」というテーマで特別展示が開催され、葛城市内のみならず奈良県各地の古墳から出た鉄製の甲冑などが展示されていました。他の博物館から借りた実物資料がたくさん展示されており、写真を撮らないように言われたので撮影は入口までです。

 特別展示は大きな気づきが得られたのですが、常設展示は正直言ってショボイと思いました。葛城といえば古代史解明のカギを握る重要な遺跡、古墳の宝庫なのに、それらの遺跡に関する展示がないのはどうしてでしょう。葛城襲津彦の墓と言われる室宮山古墳、大規模水田跡である中西遺跡、大規模住居跡が出た秋津遺跡、葛城の王都と言われる南郷遺跡群などです。これは公立博物館が現在の行政区に依存していることからくるものだと思います。
 公立博物館はほとんどの場合、郷土の歴史及び文化財についての市民の理解を深め、教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的として設立されます。ここでいう「郷土」は設置者である自治体を指すので、それぞれの自治体の地域内にある遺跡などの文化遺産が展示されることになります。葛城市歴史博物館は上記の通り、新庄町と當麻町という範囲なので文化遺産は限られたものにならざるを得ないのです。したがって、古代の葛城地方の文化遺産を網羅しようと思えば、奈良県内の北葛城郡、香芝市、葛城市、大和高田市、御所市などの公立博物館を全て回る必要があるのです。(いずれ全部まわろうと思っていますが)
 古代を考えるときに現在の行政区分を前提に考えるのはナンセンスです。個人的にはせめて奈良時代の行政単位である令制国くらいの範囲で捉えたいと思うので、近隣の自治体が連携し、強みを活かしながら弱みを補完し合ってテーマ別の展示ができれば博物館の教育的な価値はさらに高まると思います。特別展や企画展がそれに当たると言ってしまえばそれまでですが。。。



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【生涯学習論レポート③】生涯学習論の科目修得試験代替レポート

2018年10月02日 | 学芸員
生涯学習論の科目修得試験代替レポートです。課題内容は以下の通りです。

 次の3人の会話を読み、間違っているところを2か所指摘し、間違っている理由を簡潔に述べなさい。

 A:生涯にわたって学習するためには、学習の仕方を身につける必要があります。それは生涯学習の基礎ともいえるでしょう。
 C:確かに学習の仕方を身につけることは大事ですね。それは学校教育にこそ期待されているのではないでしょうか。
 B:学習の仕方を身につけること自体が生涯学習ですね。
 C:学習の仕方を身につけることは生涯学習の前提ですので、生涯学習ではありません。それそのものと前提とは異なりますよ。ものごとは論理的に考える必要があります。
 A:生涯学習は自発的意思に基づいて行うことを基本とするものです。学校教育や家庭教育のもとにあっても子どもたちが自発的に学習の仕方を身につけているのであれば、それに限っては生涯学習といえると思います。


レポートの解答、および先生の評価(最終成績)はこちらをご覧ください。

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【生涯学習論】レポート公開







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【博物館概論レポート③】博物館概論の科目修得試験代替レポート

2018年10月01日 | 学芸員
博物館概論は期末に科目修得のためのWeb試験が課される科目でしたが、私は試験日と法事が重なってしまったため、先生と事務局に相談の上でレポートで代替してもらうことにしました。この代替レポートは期中の課題レポートと違って課題の提示が締切の2週間ほど前、つまり2週間でのレポート執筆が要求されました。また、本来は試験を受けるべきところをレポートで代替されるので、試験よりも採点基準が厳しくなることも言われていたので、結果が出るまで不安がありましたが、なんとかいい結果を得ることができました。

レポートの課題と解答、および先生の評価コメントはこちらをご覧ください。

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【博物館概論】レポート公開③







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