古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

今年の最後に

2021年12月31日 | 雑感
10月3回、11月0回、12月1回。これが今年後半のブログ更新回数です。これまでも更新が滞ることはときどきあったけど、それはネタ仕込みができない場合が多かった。それに比べると今年の後半は、伊勢方面や能登半島への車中泊旅、その途中での数々の遺跡探訪、高野山や淡路への日帰り旅、などなど、結構たくさんのネタがあったにもかかわらず、ブログの記事にすることができませんでした。少し残念というか、もったいないことをしたなと思う一方で、時間が足りなかったので仕方がない、とも思っています。

実は今年の9月頃から新しい取り組みを始めました。それがこちら → 古代史を深く楽しみたい人のためのサイト「Meets

このサイトおよびサービスの立ち上げに注力していました。某古代史コミュニティを運営している方から声をかけていただいて、以前から自分でもやってみたいと思っていたことなので躊躇なく仲間入りしました。サービス内容の検討、コラム執筆、ツイッター企画、古代史旅のプランニング、ガイドブック作成など、気がつけばどっぷり浸かっていました。楽しいです。これまでやってきたことの全てがサービスのコンテンツになっていくのが何とも言えない快感です。

そんなわけでブログの更新が滞っておりましたが、来年は引き続き「Meets」に注力しながらも、古代史の学びを充実させて、もう少し多頻度にブログ記事としてアウトプットしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。もちろん「Meets」のほうもよろしくお願いいたします。

今年一年、当ブログを読んでいただいた皆さん、どうもありがとうございました。



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応神天皇陵(誉田御廟山古墳)ほか

2021年12月11日 | 遺跡・古墳
2021年12月11日、羽曳野市でランチをした帰りに行ってきました。自宅から車で30分ほどの近さなのに今まで行ったことがなかったのです。まあ、ここ(南河内)に住んでいるとそんなところばかりですが。

今回のコースは、応神陵→大鳥塚古墳→赤面山古墳→古室山古墳→仲津山陵です。允恭陵まで足を伸ばそうかと思いましたが、古市古墳群にはこれから何度も来るだろうから、また次の機会にしようと思いました。

まずは応神天皇陵です。遺跡名は誉田御廟山古墳。全長425メートル、百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵(大仙古墳)に次ぐ日本第二位の大きさを誇ります。また、古墳を築造したときに使用した土の量は約143万立法メートルもあり、これは大仙古墳を上回るそうです。5世紀前半頃の築造と考えられています。





拝礼所までの歩道を歩くと小さな砂利の音が心地よい。拝礼所は仁徳陵よりも広くて美しくて綺麗に整備されている感じがしました。






応神陵の次はすぐ前にある大鳥塚古墳です。ここも世界遺産を構成する古墳です。5世紀前葉頃の築造とされる大型の前方後円墳で全長は110m。両側のくびれ部に造出があったり、陪塚(次に行く赤面山古墳)を持っていたりすることから、この古墳の被葬者は大王に次ぐくらいの地位にあったと言えそうです。




世界遺産の大型古墳の割には放置されている感がしないでもない。後円部が大きくえぐれているのは盗掘にあったからだろうか。応神陵とは互いに前方部を向かい合わせる状態になっています。

次は赤面山古墳。西名阪自動車道の高架下にあって見事に保存されています。高速道路の建設よりも前に国史跡に指定されたために保存されることになったようです。こんな小さな古墳が保存されているのに、同じように高速道路の建設で見つかったものの、結局は破壊されてしまったのが尾張の西上免古墳。なんだか釈然としない。



赤面山古墳は一辺は15mの方墳です。一見すると円墳のように見えたのですが、調べてみると方墳となっていました。4世紀後半~5世紀初頭とされますが、陪塚であるなら大鳥塚古墳よりも古いとは考えにくいので、5世紀初頭ということでしょう。高速道路の下にあって、道路も避けて通る珍しい古墳として、知る人ぞ知る、というところでしょうか。

次は古室山古墳。全長は150mの前方後円墳で、築造は4世紀末から5世紀初頭頃となっています。ちょうど墳丘の整備中で、草刈り機を自在に操って墳丘を走り回るお兄さんに感心しきり。




墳丘に上ると東は二上山から葛城山、金剛山まで見渡せました。








前方部も後円部も周濠部分も、全部が出入り自由な公園になっています。ワンコの散歩にうってつけ、子供と野球やサッカーもできる。こんな場所が近くにあるのは羨ましい。

古室山古墳のすぐ近くが、応神天皇皇后の仲津姫が眠る仲津姫命中津山陵、仲津山古墳です。




応神天皇陵との間には大鳥塚古墳、赤面山古墳、古室山古墳が並んでいますが、この仲津山古墳もそれらにつながっているように設けられています。

応神陵からここまで歩いてわかったことは、これらの古墳が台地上にあるということです。後で調べると国府台地ということがわかりました。地形図で見ると南は応神陵から北は允恭陵まで、台地上に古墳がひしめき合っているのがよくわかります。



1時間ばかりの散策でしたが、楽しい時間でした。帰宅後に、この日は近くの峯ケ塚古墳の発掘調査に伴う現地説明会があったことを知り、そちらに行けばよかったなあ、と少しだけ残念な気持ちになりました。









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