纏向大溝は自然の川を利用したのか、それとも掘削された運河だったのか、いずれにしても矢板などで護岸工事が施された立派な水路だった。北溝は大和川につながり、南溝は箸墓古墳まで延びていたと考えられている。大和三山に対する藤原宮のように3つの古墳の中心点、運河の合流地点の近くに何らかの建物があったのではないだろうか。三方が山(墳丘)に囲まれて川(運河)が帯のように流れる地、いわゆる「山河襟帯の地」と考えての発想だ。発掘時は校庭の全部の土を剥がしてみたのだろうか。
この纏向大溝は三輪山系から流れ出る水を集めるためのものか、それとも物資運搬の大動脈か。前者ならこの合流地点は神聖な地域であったとも考えられ、後者なら3つの古墳のみならず箸墓古墳の築造において大きな役割を担ったことであろう。いずれにしても計画的に作られた政治都市である纏向にとってなくてはならない設備であったことは間違いない。
この日の纏向踏査はこれにて終了。纏向遺跡は全体のわずか数パーセントしか発掘されていないと言われているが、そうだとすると未知の遺跡であると言っても過言ではない。わずか数パーセントでこれだけ多彩で重要な遺物や遺構が出ているのだから、掘れば掘るほど日本の古代史が解明されていくような気がする。次は何が出るのか、老後の楽しみにするとしよう。
纏向小学校をあとにして西陽が照りつける中を桜井駅に向かってひたすら自転車を走らせるのだが、これが結構長い距離で疲労困憊。桜井駅からは近鉄で難波に。どういう理由か忘れたけれど、Oさんの友人と合流して千日前のがんこで慰労会。お疲れさんでした。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
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邪馬台国の候補地・纒向遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) | |
石野 博信 | |
新泉社 |
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |