車中泊の経験は今回で5回目となります。これまで、倉敷(1泊)、九州北部一周(4泊)、尾道(1泊)、金沢(1泊)を訪ねましたが、経験を重ねるにつれて少しづつ工夫を重ねて、あるいは備品類を購入して車中で快適に過ごせるようになってきました。今回は前回以降に購入した「シートをフラットに倒した時の段差解消用のマット」と夏場のための「モバイルバッテリーから給電できるUSB扇風機」「窓を開けても虫が入ってこないウインドーネット」を初めて使用するので楽しみにしていたのですが、ここのところ一段と涼しくなってきて夜間の気温がそれほど高くなかったので、扇風機とネットは使うことなく少し残念でした。段差解消マットはそれなりに効果はあったのですが、これだけでは十分ではなく、快適に寝るためにはその上に敷くマットレスが重要であることを再認識しました。厚さ10センチの高反発マットレスが1万円弱であることがわかったので、これを購入すれば問題なし。
さて、道の駅マキノ追坂峠での車中泊はどうだったのでしょうか。停めた場所が悪かった、というか運が悪かったのか、夜中から朝方にかけて両隣の車が3回ほど入れ替わり、さらに人が乗り降りするたびにワンコが吠えるために何度も目が覚めて、正直なところ寝た気がしない、という状況でした。この道の駅を選択した以上はどうしようもないのですが、そもそも他の場所も候補に考えていたので、そのことも含めて今回の旅は総合的に反省すべき点がたくさんありました。それは改めて。
道の駅の売店がオープンする前に出発したので朝ご飯をとる場所を探さないといけないのですが、とりあえず奥琵琶湖の景色や雰囲気を堪能しようと琵琶湖に突き出した海津大崎をぐるりと、そしてゆっくりと走ります。気持ちのいいドライブです。続いて葛籠尾半島に入って奥琵琶湖パークウェイへ。今回の旅でいちばん楽しみにしていたのがここを走ることだったかもしれません。坂道をどんどん登って行った先にあるつづら尾崎展望台。ここからの景色はなんとも爽快で雄大で清々しいものでした。
遠くに見える伊吹山、その手前で野焼きの白い煙があがっています。湖北、奥琵琶湖の風景はいいなあ。そしてこの平野部が神功皇后を輩出した息長氏の故郷です。
ワンコもリードをはずしてもらって嬉しそう。景色を堪能し、トイレを済ませて出発です。車を走らせながら気がつきました。路面にはセンターラインのあとが見え、もともと2車線の道路だったことが明らかなのに、あちこちで落石を防ぐコンクリート製のガードフェンスが並べられ、センターラインをまたぐように車線が設定されています。つまり1車線になっているのです。ということは一方通行ということです。たしか展望台までは2車線で対面通行だったのに。
帰宅後に調べてみると、葛籠尾半島東側は台風などによる崖の崩落で通行止めになることがよくあるそうで、今年も7月下旬に通行止めが解除になったばかりでした。頻繁に崩落があることから、もともと2車線の対面通行だったのが1車線の一方通行になったようです。今回は西側から入ったので気づかずに行きましたが、これが東側からだったらいったん西側に回ってからでないと登れなかったということです。
いよいよお腹がすいてきたので「道の駅 塩津海道あぢかまの里」へ向かいました。地元の方が作った栗おこわと、前日の浮御堂で見送ったゴリの佃煮を買って車の中で食べました。ゴリというのは琵琶湖に生息するヨシノボリというハゼの仲間の小魚のことで、佃煮の味はいかなごの釘煮にそっくりでした。おこわと佃煮の相性が想像以上に良かったです。ほかに、大根や茄子など地元の野菜を買い込みました。人気の道の駅なのか、人も車もいっぱいでした。
この日に行こうと決めていたのは2カ所だけだったので、それ以外はドライブを楽しもうという魂胆でした。別に道の駅をはしごする意図があったわけではないのですが、次に目指したのが「道の駅 湖北みずどりステーション」です。実は事前の調査で車中泊にいい道の駅であることがわかっていたので、自分の眼で確かめておきたかったのです。行ってみると確かにいい。駐車場が広くて人目につかないように停めることができる場所がたくさんある。近くに温泉もあるので人気の車中泊スポットだということがよくわかった。湖西の山に沈む夕陽を眺めることができ、日本の夕陽百選にも選ばれているスポットです。あとで考えると、そもそも琵琶湖を時計回りに走ったのが間違いだったと気がつきました。東からまわっていればここで泊まることができたのです。前日の夕食難民も温泉での大混雑も回避できたし、夕陽を眺めることもできたはずです。これぞあとの祭り。
ここからは湖岸沿いのさざなみ街道をひたすら走ります。信号もあまりなくて快適なドライブです。風もなくて鏡のような湖面が美しい。琵琶湖一周の醍醐味はここを走ることかな。
そして次の目的地は彦根市にある稲部遺跡。2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。180棟以上の竪穴建物に加え、大型建物や独立棟持柱建物が発見されたほか、鉄器の生産が行われた鍛冶工房群や青銅器の鋳造工房も発見されています。大和政権の成立期における近江の巨大勢力の存在を物語る大集落ということです。
明らかにこのあたりというところまで来たのに、どこが遺跡かよくわかりません。これまでいろいろな遺跡を訪ねてきましたが、公園として整備して保存されていたり、そうでない場合も説明板が立っていたりして、どこが遺跡なのか、どんな遺跡なのかというのがわかるようになっているのですが、ここは埋め戻されて田畑や野原が広がるだけで説明板も何もないのです。だいたいここかな、というところを車から写真に収めるだけになりました。ちょっと残念。
この遺跡は息長氏との関連で理解しようと考えていたのですが、息長氏の拠点からは少し場所が離れているのかな、という印象でした。
次は今回のツアーのフィナーレとなる近江八幡です。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
さて、道の駅マキノ追坂峠での車中泊はどうだったのでしょうか。停めた場所が悪かった、というか運が悪かったのか、夜中から朝方にかけて両隣の車が3回ほど入れ替わり、さらに人が乗り降りするたびにワンコが吠えるために何度も目が覚めて、正直なところ寝た気がしない、という状況でした。この道の駅を選択した以上はどうしようもないのですが、そもそも他の場所も候補に考えていたので、そのことも含めて今回の旅は総合的に反省すべき点がたくさんありました。それは改めて。
道の駅の売店がオープンする前に出発したので朝ご飯をとる場所を探さないといけないのですが、とりあえず奥琵琶湖の景色や雰囲気を堪能しようと琵琶湖に突き出した海津大崎をぐるりと、そしてゆっくりと走ります。気持ちのいいドライブです。続いて葛籠尾半島に入って奥琵琶湖パークウェイへ。今回の旅でいちばん楽しみにしていたのがここを走ることだったかもしれません。坂道をどんどん登って行った先にあるつづら尾崎展望台。ここからの景色はなんとも爽快で雄大で清々しいものでした。
遠くに見える伊吹山、その手前で野焼きの白い煙があがっています。湖北、奥琵琶湖の風景はいいなあ。そしてこの平野部が神功皇后を輩出した息長氏の故郷です。
ワンコもリードをはずしてもらって嬉しそう。景色を堪能し、トイレを済ませて出発です。車を走らせながら気がつきました。路面にはセンターラインのあとが見え、もともと2車線の道路だったことが明らかなのに、あちこちで落石を防ぐコンクリート製のガードフェンスが並べられ、センターラインをまたぐように車線が設定されています。つまり1車線になっているのです。ということは一方通行ということです。たしか展望台までは2車線で対面通行だったのに。
帰宅後に調べてみると、葛籠尾半島東側は台風などによる崖の崩落で通行止めになることがよくあるそうで、今年も7月下旬に通行止めが解除になったばかりでした。頻繁に崩落があることから、もともと2車線の対面通行だったのが1車線の一方通行になったようです。今回は西側から入ったので気づかずに行きましたが、これが東側からだったらいったん西側に回ってからでないと登れなかったということです。
いよいよお腹がすいてきたので「道の駅 塩津海道あぢかまの里」へ向かいました。地元の方が作った栗おこわと、前日の浮御堂で見送ったゴリの佃煮を買って車の中で食べました。ゴリというのは琵琶湖に生息するヨシノボリというハゼの仲間の小魚のことで、佃煮の味はいかなごの釘煮にそっくりでした。おこわと佃煮の相性が想像以上に良かったです。ほかに、大根や茄子など地元の野菜を買い込みました。人気の道の駅なのか、人も車もいっぱいでした。
この日に行こうと決めていたのは2カ所だけだったので、それ以外はドライブを楽しもうという魂胆でした。別に道の駅をはしごする意図があったわけではないのですが、次に目指したのが「道の駅 湖北みずどりステーション」です。実は事前の調査で車中泊にいい道の駅であることがわかっていたので、自分の眼で確かめておきたかったのです。行ってみると確かにいい。駐車場が広くて人目につかないように停めることができる場所がたくさんある。近くに温泉もあるので人気の車中泊スポットだということがよくわかった。湖西の山に沈む夕陽を眺めることができ、日本の夕陽百選にも選ばれているスポットです。あとで考えると、そもそも琵琶湖を時計回りに走ったのが間違いだったと気がつきました。東からまわっていればここで泊まることができたのです。前日の夕食難民も温泉での大混雑も回避できたし、夕陽を眺めることもできたはずです。これぞあとの祭り。
ここからは湖岸沿いのさざなみ街道をひたすら走ります。信号もあまりなくて快適なドライブです。風もなくて鏡のような湖面が美しい。琵琶湖一周の醍醐味はここを走ることかな。
そして次の目的地は彦根市にある稲部遺跡。2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。180棟以上の竪穴建物に加え、大型建物や独立棟持柱建物が発見されたほか、鉄器の生産が行われた鍛冶工房群や青銅器の鋳造工房も発見されています。大和政権の成立期における近江の巨大勢力の存在を物語る大集落ということです。
明らかにこのあたりというところまで来たのに、どこが遺跡かよくわかりません。これまでいろいろな遺跡を訪ねてきましたが、公園として整備して保存されていたり、そうでない場合も説明板が立っていたりして、どこが遺跡なのか、どんな遺跡なのかというのがわかるようになっているのですが、ここは埋め戻されて田畑や野原が広がるだけで説明板も何もないのです。だいたいここかな、というところを車から写真に収めるだけになりました。ちょっと残念。
この遺跡は息長氏との関連で理解しようと考えていたのですが、息長氏の拠点からは少し場所が離れているのかな、という印象でした。
次は今回のツアーのフィナーレとなる近江八幡です。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |