「前編」では谷川健一氏の著書「蛇 不死と再生の民俗」をもとに想像を膨らませてみました。この「後編」では、蛇や蛇神を考えるにあたって追加の材料として栃木県にある大平山神社のサイトにある情報を取り上げてみます。
大平山神社には境内摂社として蛇神様(水神様)を祀る蛇神社があります。また、内容は全く分かっていませんが、毎年旧暦の1月8日には神蛇祭(しんださい)と呼ばれる開山式が行われるようです。そんな関係からか「蛇と水神のはなし」というコラムが記載されていましたので、以下に整理してみます。
・蛇は「田を守る神」とされ、①蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたから、②田の稔りを荒らす野鼠を捕食するから、ということがその理由である。
・水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神と密接な関係にある。そして蛇神は、蛇と龍との習合、および湿地を好んで生息する習性にもとづき、水神の使い、もしくは水神そのものと考えられるようになった。
・命の再生の象徴と見なされる脱皮という生態やその生命力の高さが、蛇に対する畏怖の念を強め、さらにそれが「蛇信仰=水信仰」を根強いものにした。
・一方で水神としての蛇は、弁財天や宇賀神の神使としても信仰される。宇賀神は穀霊であり、弁財天には本来水の神の特性がある。(Wikipediaによると、弁財天の化身は蛇や龍とされています。)
要約すると、蛇は「田を守る神」すなわち農耕神と考えられ、農耕に欠かせないものが水であることから、農耕神と水神が結びついた。さらには脱皮から連想される蛇の生命力が蛇への畏怖の念を強めて蛇信仰=水信仰をさらに根強いものにした。要するに、農耕や水の神様として蛇信仰が定着していったということです。
蛇が水神であるという話から、懇意にしていただいている宗教哲学の先生から聞いた話を思い出しました。天上界にいる神様が地上界に降りてくるときは、まず山の上の樹木に降ります。そして木の根から土を伝って水の流れているところへ移動します。いったん水に入ると川の流れに乗って下界の村までやってきます。神様を下界に降ろした神職はその川に浸かり、自らが依り代となって流れてきた神様を身に宿します。これを「神降し」や「神懸り」といいます。古代の巫女の役割です。
この川の流れる様子、水の流れる様は蛇が泳ぐ姿に似ていませんか。小さいころ、川の流れを絵にするとき、必ずSの字をニョロっと長く伸ばした記号のようなものを何本か描きませんでしたか。あれはまさに蛇の姿そのものです。つまり、天上界から降りてきた神は、地上界において蛇の姿となって現れると考えられたのではないでしょうか。
今回、蛇神や蛇信仰について書かれた本は1冊しか読んでいませんが、ネットに掲載された情報をいろいろと調べてみたところ、蛇が神として信仰されるようになった理由は、命の再生と考えられる脱皮に象徴される生命力に対する畏敬の念、鼠などの害虫を捕食する穀物の守り神としての実利面、男根に似ていることからの種神の発想、恐ろしい姿や形に対する畏怖の念など、どれも同じようなことが書かれていて、どれも尤もらしく聞こえるのですが、実はどれも腹落ちしないというのが正直なところでした。
結局、蛇=水神からの連想で、最後に書いたように、古代の人々は「天上界の神が地上界で蛇の姿となって現れる」と考えたので、蛇は神そのものであり、神そのものである蛇を祀るようになった、と理解するのが私にとっては最も納得のいく答えとなりました。そしてこの答えは実は「前編」の結論、すなわち、とぐろを巻く蛇が忌まわしいものを取り除いてくれる神として信仰の対象となった、というものとつながってくるのです。
とぐろを巻く蛇はもともと潮の流れや渦巻からの連想でした。隼人の盾や原尾島遺跡の長頸壺に描かれたS字の文様は潮の流れを表したものです。そして、水の中を泳ぐ蛇の姿もS字に見えます。渦巻の中には神がいて、川の流れの中にも地上界に降りてきた神がいて、そのいずれの神も蛇に見立てられたのでした。
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
大平山神社には境内摂社として蛇神様(水神様)を祀る蛇神社があります。また、内容は全く分かっていませんが、毎年旧暦の1月8日には神蛇祭(しんださい)と呼ばれる開山式が行われるようです。そんな関係からか「蛇と水神のはなし」というコラムが記載されていましたので、以下に整理してみます。
・蛇は「田を守る神」とされ、①蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたから、②田の稔りを荒らす野鼠を捕食するから、ということがその理由である。
・水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神と密接な関係にある。そして蛇神は、蛇と龍との習合、および湿地を好んで生息する習性にもとづき、水神の使い、もしくは水神そのものと考えられるようになった。
・命の再生の象徴と見なされる脱皮という生態やその生命力の高さが、蛇に対する畏怖の念を強め、さらにそれが「蛇信仰=水信仰」を根強いものにした。
・一方で水神としての蛇は、弁財天や宇賀神の神使としても信仰される。宇賀神は穀霊であり、弁財天には本来水の神の特性がある。(Wikipediaによると、弁財天の化身は蛇や龍とされています。)
要約すると、蛇は「田を守る神」すなわち農耕神と考えられ、農耕に欠かせないものが水であることから、農耕神と水神が結びついた。さらには脱皮から連想される蛇の生命力が蛇への畏怖の念を強めて蛇信仰=水信仰をさらに根強いものにした。要するに、農耕や水の神様として蛇信仰が定着していったということです。
蛇が水神であるという話から、懇意にしていただいている宗教哲学の先生から聞いた話を思い出しました。天上界にいる神様が地上界に降りてくるときは、まず山の上の樹木に降ります。そして木の根から土を伝って水の流れているところへ移動します。いったん水に入ると川の流れに乗って下界の村までやってきます。神様を下界に降ろした神職はその川に浸かり、自らが依り代となって流れてきた神様を身に宿します。これを「神降し」や「神懸り」といいます。古代の巫女の役割です。
この川の流れる様子、水の流れる様は蛇が泳ぐ姿に似ていませんか。小さいころ、川の流れを絵にするとき、必ずSの字をニョロっと長く伸ばした記号のようなものを何本か描きませんでしたか。あれはまさに蛇の姿そのものです。つまり、天上界から降りてきた神は、地上界において蛇の姿となって現れると考えられたのではないでしょうか。
今回、蛇神や蛇信仰について書かれた本は1冊しか読んでいませんが、ネットに掲載された情報をいろいろと調べてみたところ、蛇が神として信仰されるようになった理由は、命の再生と考えられる脱皮に象徴される生命力に対する畏敬の念、鼠などの害虫を捕食する穀物の守り神としての実利面、男根に似ていることからの種神の発想、恐ろしい姿や形に対する畏怖の念など、どれも同じようなことが書かれていて、どれも尤もらしく聞こえるのですが、実はどれも腹落ちしないというのが正直なところでした。
結局、蛇=水神からの連想で、最後に書いたように、古代の人々は「天上界の神が地上界で蛇の姿となって現れる」と考えたので、蛇は神そのものであり、神そのものである蛇を祀るようになった、と理解するのが私にとっては最も納得のいく答えとなりました。そしてこの答えは実は「前編」の結論、すなわち、とぐろを巻く蛇が忌まわしいものを取り除いてくれる神として信仰の対象となった、というものとつながってくるのです。
とぐろを巻く蛇はもともと潮の流れや渦巻からの連想でした。隼人の盾や原尾島遺跡の長頸壺に描かれたS字の文様は潮の流れを表したものです。そして、水の中を泳ぐ蛇の姿もS字に見えます。渦巻の中には神がいて、川の流れの中にも地上界に降りてきた神がいて、そのいずれの神も蛇に見立てられたのでした。
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