


本尊は飛鳥大仏。光背や台座が失われ、何度も修復を受けているものの1400年前からこの場所に鎮座しているそうです。

面長の顔立ち、アーモンド形の眼、首を少しだけ左側に向け、ほかのお寺の仏さまとは少し様子が違っています。右から見ると少し厳しい表情に見え、左からは微笑むような表情。そう思ってみるとたしかにそう見えます。


仏教を受け入れ、丁未の乱で物部氏を倒し、この大伽藍を創建し、その後の日本の行方を決定づけたといっても過言ではない蘇我氏、蘇我馬子の偉大さを思い知らされました。





お堂の前の広場の端っこに塔の心礎の位置が示されていました。


お寺の西に入鹿の首塚があります。乙巳の変で飛鳥板葺宮において中大兄皇子らに斬られた入鹿の首がここまで飛んできたとか。ホンマかいな。

この首塚と向こうに見える甘樫丘の間に石敷きの広場が見つかっていて「飛鳥寺西方遺跡」と呼ばれています。中大兄皇子と中臣鎌足の二人が蹴鞠に興じた、法興寺の西の槻の木の広場とされていることを後で知りました。行っておきたかったけど、あとの祭りです。
(つづく)
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