■古代史にリアリティを
7回目の今回はいよいよ纒向遺跡の中心を見て回った様子を書こうと思います。
実は纒向遺跡は九州の吉野ヶ里遺跡のような史跡公園になっているわけでもなく、358本もの銅剣が出土した出雲の荒神谷遺跡のように発掘時の状況が再現されているわけでもありません。発掘された場所は全て埋め戻されていて遺跡を遺跡として認識することはできません。案内板が立っているだけなのです。だから実地踏査と言ってもやることは、その場に立って何かを感じること、それをもとに考えること、くらいなんです。(※その後、後述する大型建物跡が発掘された辻地区は史跡公園として整備されました。)
でも、この「感じること」と「考えること」というのがものすごく意味があると思うのです。本を読んだり講演を聴いたりして得た知識をもとに机上で考えることはもちろん重要かつ必要不可欠なのですが、実地踏査はそこにリアリティを加えることができるのです。これによって自分の仮説の確からしさ、あるいは説得力が高まるのだと思います。
埋蔵文化財センターを出た私たちは来た道を戻り、日本最古の道といわれる「山辺の道」に入り、その後は「茅原大墓古墳→ホケノ山古墳→箸墓古墳→纒向石塚古墳→辻地区(大型建物跡発掘地)→纒向勝山古墳→纒向矢塚古墳」という順に回りました。いくつかを紹介します。
①茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)
古墳時代中期(5世紀前半代)の帆立貝式前方後円墳で全長は85メートル。「帆立貝式」とは前方後円墳の前方部の長さが短く、ホタテ貝のような形をしていることからこのように呼びます。しかし、この古墳に登ってまず「これは円墳だ」と思いました。というのも上から見ても前方部が確認できなかったのです。おそらく後世に盛土が削られたのでしょう、畑として利用されていたからわからなくなっていました。それでも帆立貝式前方後円墳というからには、発掘の結果としてそれが確認されたのだと思います。
このように古墳は後世に盛土が削られることがよくあるのです。
②ホケノ山古墳
3世紀中頃に造られた纒向型前方後円墳で全長が90メートルで後円部の直径が60メートル。1999年からの発掘で重厚で独特な埋葬施設が見つかり、一躍脚光を浴びました。
築造時期が卑弥呼が亡くなった時期に合っていること、この埋葬施設が女王の亡骸を納めるのに相応しい「しつらえ」であること、直径が60メートルということは60センチくらいの小さな歩幅であれば100歩となり、魏志倭人伝にある「径百余歩」という記述と合っていることなどから、この古墳が卑弥呼の墓ではないかと考えています。山すその少し標高の高いところにあって、墳丘に登ると纒向一帯を見渡すことができる、というのも理由のひとつです。これは実際に登ってみてわかったことです。
(桜井市のホームページより)
③辻地区(大型建物跡発掘地)
卑弥呼の神殿ではないかと騒がれた3世紀前半のものと推定される大型建物跡が発掘されたところです。建物跡は4棟分が発掘され、最大のものは床面積が238平米でかなりの広さになります。この最も大きい建物がいちばん東にあり、そこから西にむかって一直線に3つの建物が並んでいることから、この4棟は計画的に建設されたと考えられます。この建物群の主は、東の山々から昇る太陽を拝み、おもむろに振り向いて西の建物に控えた者にお告げを伝える、そんな状況が浮かんでくるのです。とはいえ、この現場は全て埋め戻され、いわゆる「原っぱ」状態になっていたので、これはもう想像の世界に入りこむしかないのです。(※その後、史跡公園として整備されました。)
こんな感じで纒向ツアーを終えた私たちは近鉄電車で難波へ出て、がんこ寿しで互いの労をねぎらいました。
私はもともと纒向に邪馬台国があったと考えているので、纒向を訪ねる目的はそれを補強するための材料探しということになるのですが、一方で、邪馬台国が別のところにあったと考える人にとっては全然違った見方になるのだろうと思います。たとえば、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だと考える人はこの纒向遺跡をどのように捉えるのだろうか、というのを聞いてみたい気持ちがあります。ただ、他の人の考えを否定したり反論するつもりは全くなく、むしろ部分的に使えるところはないかな、とすら考えています。
これからも自説を紹介していくと思うのですが、このコラムではそれをわかってもらいたいという思いよりも、私がいかに古代史を楽しんでいるか、というのをお伝えしたいと思っています。
次回からは、一年前の6月に一人で巡った奈良県の葛城地方について書いてみたいと思います。 (第8回へつづく)
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実地踏査によって仮説にリアリティが加わって2冊の本ができました。アマゾンで電子版を販売していますので是非ご覧ください。
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7回目の今回はいよいよ纒向遺跡の中心を見て回った様子を書こうと思います。
実は纒向遺跡は九州の吉野ヶ里遺跡のような史跡公園になっているわけでもなく、358本もの銅剣が出土した出雲の荒神谷遺跡のように発掘時の状況が再現されているわけでもありません。発掘された場所は全て埋め戻されていて遺跡を遺跡として認識することはできません。案内板が立っているだけなのです。だから実地踏査と言ってもやることは、その場に立って何かを感じること、それをもとに考えること、くらいなんです。(※その後、後述する大型建物跡が発掘された辻地区は史跡公園として整備されました。)
でも、この「感じること」と「考えること」というのがものすごく意味があると思うのです。本を読んだり講演を聴いたりして得た知識をもとに机上で考えることはもちろん重要かつ必要不可欠なのですが、実地踏査はそこにリアリティを加えることができるのです。これによって自分の仮説の確からしさ、あるいは説得力が高まるのだと思います。
埋蔵文化財センターを出た私たちは来た道を戻り、日本最古の道といわれる「山辺の道」に入り、その後は「茅原大墓古墳→ホケノ山古墳→箸墓古墳→纒向石塚古墳→辻地区(大型建物跡発掘地)→纒向勝山古墳→纒向矢塚古墳」という順に回りました。いくつかを紹介します。
①茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)
古墳時代中期(5世紀前半代)の帆立貝式前方後円墳で全長は85メートル。「帆立貝式」とは前方後円墳の前方部の長さが短く、ホタテ貝のような形をしていることからこのように呼びます。しかし、この古墳に登ってまず「これは円墳だ」と思いました。というのも上から見ても前方部が確認できなかったのです。おそらく後世に盛土が削られたのでしょう、畑として利用されていたからわからなくなっていました。それでも帆立貝式前方後円墳というからには、発掘の結果としてそれが確認されたのだと思います。
このように古墳は後世に盛土が削られることがよくあるのです。
②ホケノ山古墳
3世紀中頃に造られた纒向型前方後円墳で全長が90メートルで後円部の直径が60メートル。1999年からの発掘で重厚で独特な埋葬施設が見つかり、一躍脚光を浴びました。
築造時期が卑弥呼が亡くなった時期に合っていること、この埋葬施設が女王の亡骸を納めるのに相応しい「しつらえ」であること、直径が60メートルということは60センチくらいの小さな歩幅であれば100歩となり、魏志倭人伝にある「径百余歩」という記述と合っていることなどから、この古墳が卑弥呼の墓ではないかと考えています。山すその少し標高の高いところにあって、墳丘に登ると纒向一帯を見渡すことができる、というのも理由のひとつです。これは実際に登ってみてわかったことです。
(桜井市のホームページより)
③辻地区(大型建物跡発掘地)
卑弥呼の神殿ではないかと騒がれた3世紀前半のものと推定される大型建物跡が発掘されたところです。建物跡は4棟分が発掘され、最大のものは床面積が238平米でかなりの広さになります。この最も大きい建物がいちばん東にあり、そこから西にむかって一直線に3つの建物が並んでいることから、この4棟は計画的に建設されたと考えられます。この建物群の主は、東の山々から昇る太陽を拝み、おもむろに振り向いて西の建物に控えた者にお告げを伝える、そんな状況が浮かんでくるのです。とはいえ、この現場は全て埋め戻され、いわゆる「原っぱ」状態になっていたので、これはもう想像の世界に入りこむしかないのです。(※その後、史跡公園として整備されました。)
こんな感じで纒向ツアーを終えた私たちは近鉄電車で難波へ出て、がんこ寿しで互いの労をねぎらいました。
私はもともと纒向に邪馬台国があったと考えているので、纒向を訪ねる目的はそれを補強するための材料探しということになるのですが、一方で、邪馬台国が別のところにあったと考える人にとっては全然違った見方になるのだろうと思います。たとえば、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だと考える人はこの纒向遺跡をどのように捉えるのだろうか、というのを聞いてみたい気持ちがあります。ただ、他の人の考えを否定したり反論するつもりは全くなく、むしろ部分的に使えるところはないかな、とすら考えています。
これからも自説を紹介していくと思うのですが、このコラムではそれをわかってもらいたいという思いよりも、私がいかに古代史を楽しんでいるか、というのをお伝えしたいと思っています。
次回からは、一年前の6月に一人で巡った奈良県の葛城地方について書いてみたいと思います。 (第8回へつづく)
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実地踏査によって仮説にリアリティが加わって2冊の本ができました。アマゾンで電子版を販売していますので是非ご覧ください。
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