いつでも行けると思うとなかなか行く機会を作れない、いや作ろうとしないのが私の悪いクセ。博物館見学にもそれが現れており、自宅から近い大阪や奈良にある有名博物館はほとんど行っていないというのが実状です。そしてこの大阪市立大阪歴史博物館もそのひとつでした。学芸員の勉強のためにホームページは穴が開くほど閲覧したのですが、実際に見学に訪れたのは今回(2018年9月)が初めてです。なかなか感慨深いものがあったので紹介したいと思います。
大阪歴史博物館は地下鉄の谷町四丁目駅から歩いてすぐのところにあり、難波宮跡のすぐ近く、大阪城の西南角のところにNHKビルと並んで建っています。もともとは大阪市立中央体育館が建っていた場所で、40年前の高校2年の夏、この中央体育館で大阪府の高校剣道国体予選が行われ、団体戦で見事3位に輝いた場所です。では順に紹介していきます。
入り口。正面に見えるのがNHKで左が博物館です。
特別展「西郷どん」が開催中でした。幕末の知識がないのでよくわからないのですが、大阪市の歴史と西郷隆盛は関係があるのでしょうか。大河ドラマが放映中なので隣のNHKの画策に乗ってしまったのでしょうか。今回、この特別展はパスしました。常設展示だけだと入館料は600円で、決して安くはないです。チケットを買ってまずエレベーターで10階の古代フロアへ上がります。
古代フロアの半分のスペースを使って復元された難波宮の大極殿。
すごい迫力なのですが、私にとっては10階から眺める難波宮跡とその背景の景色のほうが印象深かった。
その景色。
真ん中に大極殿、背景には生駒山地から二上山を経て金剛山地へと連なる山並み、その向こうには大和がある。ここは難波から近つ飛鳥と呼ばれる地を経て飛鳥へと続く竹内街道の出発点で、こうして眺めていると大和まではそんなに遠くないことを実感します。「近つ飛鳥」とは奈良県の明日香村の「遠つ飛鳥」に対して、大阪府羽曳野市飛鳥や南河内郡太子町あたり一帯を指す呼称で、聖徳太子、推古天皇、用明天皇などの御陵があります。難波宮からみて遠い飛鳥、近い飛鳥ということです。ここにある近つ飛鳥博物館は博物館教育論の課題レポートの対象として研究しました。
古代フロアに展示される考古資料で最も興味をもった船形埴輪。
手前が 大阪市平野区長原にある高廻り2号墳出土、後ろが1号墳出土です。高廻り2号墳は5世紀前葉に造られた直径21mの円墳です。手前の埴輪をモデルに古代船を復元して韓国まで漕いで渡ろうとした「なみはや号プロジェクト」というのが30年前に行われましたが残念ながらうまくいかなかったようです。20年近く前、私はこの船形埴輪が出土した大阪市平野区長原の近くの八尾南に住んでいました。このあたりに遺跡がたくさんあることは知っていたのですが、4世紀末から6世紀前半に造営されたとされる200基以上の古墳が密集する古墳群があるとは全く知りませんでした。
長原古墳群を示す説明板。 1階のロビーの壁に見つけました。
私の以前の自宅は上の地図の右下のあたりです。この船形埴輪以外にも長原遺跡から出た資料などが展示されていましたが、古代フロアの資料展示スペースの大半は難波宮に関する資料で占められていました。
難波宮発掘時の状況を復元した遺跡模型。
この地には2つの難波宮があります。ひとつは大化の改新後に孝徳天皇が飛鳥から遷都した宮(難波長柄豊崎宮)、もうひとつが奈良時代中頃に聖武天皇が恭仁京から遷都した宮です。前者を前期難波宮、後者を後期難波宮と呼びます。
前期難波宮の復元模型。
後期難波宮の復元模型。
10階から9階に下りるエスカレーターの踊り場から眺める大阪城。
9階は中世近世フロア。
大坂本願寺の時代から天下の台所と呼ばれる時代までの精巧な模型がふんだんに展示されています。残念ながらここまで時代が下るとあまり興味がないのです。
様々な模型が並びます。
8階は歴史を掘るフロア。なにわ考古研究所と命名された学習コーナーです。
考古学を学ぶために実物大の発掘現場が再現されているのですが、リアリティがあるようでない。
7階は近代現代フロア。大正末期から昭和初期の大坂の街並みを再現。
豊富な映像資料とともに見学すると、これはこれで大変興味深い。大阪で生まれ育った私自身の歴史に直結する時代でもあり、強烈にノスタルジーを感じます。
ゆったり見学ができる実物資料の展示スペース。
このあと、1階ロビーからスタートする難波宮遺跡見学ガイドツアーに参加しました。