あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

氷りつき「よいしょ」の気合もマジになり  あきオジ

2012-01-14 05:57:48 | 日記
昭和記念公園です。
人はほどんでいません。

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水に浮く柄杓の上の春の雪 高浜虚子

(完成度のかたい品のいい句ですね。だからどうだと言われたらそれ以上の言葉は見つかりません。)

泡のぼて一動きしぬ薄氷  高野素十

(現代俳句を読んでいると和菓子を思い起こします。どうしででしょうか。口ざわりがよく見てくれが絵画的です。それもいいかもしれませんね。)

春のほか知らぬ雛(ひひな)を飾りけり  鶴田玲子

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俳句は切り口の鮮やかさと表現の上品さが身上の「芸事」ですね。思えば、それが日本文化なのですね。そこを勘違いすると見当違いになりますね。でも、そんなことは無縁にしています。そんなことどうでもいいですね。形式だけ拝借しているだけなのですから。

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冬の窓暮らす人まで映し出し  あきオジ

大根を干したる家も雪の中  あきオジ




もうすこしそのままおきし島二つ  あきオジ

2012-01-14 05:40:52 | 日記
昭和記念公園の冬です。
いかにも冬の真ん中です。
何もかも眠りの中です。

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鉢の椿蕾がかたくて白うなつて  放哉

低い戸口くぐつて出る残雪が堅い  放哉

汀にたまる霰見て温泉の村に入る  放哉

(俳句という短い形式ですと、きりとった風景がいかなるものか作者と読者とでは読みとり方が大きく違うこともあり、作者の思い入れと、読者の読みとり方とは大きな温度差があるのでしょうね。そんな気がします。放哉の句を読んでいると、何を言いたいのか、自分だけ分かっていて、見えてこない、そんな句にであいます。山頭火は言葉のリズムとか破調によって心象風景が見えてきますが、放哉はそれすらも悟られないようしているようにも思えます。でも、素人の思うこと、何の根拠もありませんん。)

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雪降らず不安の風吹く空の色 あきオジ

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すぎてゆく記憶に残りし里の雪  あきオジ

2012-01-14 05:23:39 | 日記
昭和記念公園です。

来週はキルト展です。
一年の始まりという感じですね。
一年かけて作り上げた作品は誇らしげです。
キルト愛好者は相当数なのでしょうね。
会場はいつもいっぱいです。

このこつこと作り上げた職人芸を見るのは楽しいことです。

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冬の日や馬上に氷る影法師  芭蕉

わすれ草菜飯につまん年の暮 芭蕉

ふるはたやなずなつみゆくおとこども  芭蕉

(時代を掬いあげた句だとリアルであるのですが、普遍性が薄くなる。レベルの高い人はそんなことも考えるのでしょうね。)

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寒菜の葉間抜けな色が馴染めずに  あきオジ

寒いだけそれもいいか日曜日  あきオジ

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