あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

やることがありそうな顔して駅を出る  あきオジ

2012-01-27 17:54:16 | 日記
放哉の代表句の一つです。

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なんにもない机の引き出しをあけてみる  放哉

色鉛筆の青い色をひつそりとけづつて居る  放哉

窓あけた笑ひ顔だ  放哉

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落語聞き寝直しをする夜長し  あきオジ

ひとり言寝言もありて梅が咲く  あきオジ

ひとり言どうせ地球の塵だから  あきオジ

大人びたいやな子がくる日曜日  あきオジ

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さりげなき言葉を洗う日々となり  あきオジ

2012-01-27 05:18:23 | 日記
このようなキルト作品を見ると
山頭火や放哉の存在を忘れてしまいます。
一方に傾斜することを厭わない
そんな人の存在は
バランスだけで生きている人には耐えられないのですね。

キルトを見ていると
もしあるとすれば、幸福な家庭とはこんなものなのかな
などとぼんやり考えてしまいます。


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夕やけや人の中より秋が立  一茶

秋麦や子を負いながらいはし売 一茶

(この雰囲気素敵ですね。なぜか、この句にいつも出会いますね。信州の景色が浮かんでくるようです。)

北国や家に雪なきお正月  一茶

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晴れた日は散歩に出よう雪残る  あきオジ

ありがたいひかり溢れる阿弥陀堂  あきオジ

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あのころと変わらぬ語尾の電話あり  あきオジ

2012-01-27 04:49:30 | 日記
静かな日々になりました。
あれもこれも思いださなければ懐かしいだけになりました。
なぜか、上手に丸めて放り投げたような気分です。

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海が少し見える小さな窓一つもつ  放哉

(「もつ」という言葉が放哉には似合わない。そんなことを気にするようではいけませんね。自分のイメージの中の押し込むのが素人の悪い癖かもしれません。)

井戸のほとりがぬれて居る夕風  放哉

(技巧的表現を排除しようとするのが放哉の流れなのですね。それが私にとっての魅力です。9

節分の豆をだまつてたべて居る  放哉

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会話なく気配で語る夕餉どき  あきオジ

それぞれの物語にいる炬燵なり  あきオジ


積もる雪空をささえて朝になり  あきオジ

2012-01-27 04:31:27 | 日記
これもキルト
あれこれ難しいことを思いつくのは
悪い癖ですね。

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埋火や春に減ゆく夜やいくつ  蕪村

(「埋火」中里恒子の小説のような言葉ですね。自分のような野暮ったいものには気恥かしくて使えない文字ですね。けっこう、そんなこだわりの文字と言うか言葉があるものですね。)

寒梅やほくちにうつる二三輪  蕪村

(虚構の絵画的世界と思った方がよさそうですね。「与謝蕪村」という安東次男著をときどき開くのですが、すぐに嫌気がさして投げ出してしまいます。素人は素人の楽しみ方でいいや。専門家や研究家の楽しみ方とは違っていていいや。そう思うのですね。)

秋風におくれて吹くや秋の風  蕪村

(このような頭をひねらなければ何をいいたいのか分からない。そんな句も好きですね。何となく感じられればそれでいいのです。解釈が一直線な句より、まあまあそんなところかなというもいいですね。)

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一遍のひらがなもじのありがたき  あきオジ