
6月8日新聞(日経)で、自衛隊の海外派遣のことを取り上げていた。
自衛隊が、初めて海外派遣されたのは、1991年にイラク・フセインが、隣国クウェートの石油資源を
「我が物」にしようと侵略し、クウェートを併合したことで、起きた湾岸戦争の時。
国連安保理は、米欧各国やサウジなどアラブ諸国の軍中心に国連軍を結成、「武力鎮圧」に乗り出した。
1991年1月17日のイラクへのミサイル攻撃や空爆が始まり、1か月半で、イラクが降参して停戦。
この時、日本は、憲法9条があり、「軍隊を持たない、紛争解決に武力を使えない」ので、国連軍に自衛隊を
参加させることが出来ず、戦争経費を分担すると言うことで、130億ドル(日本の防衛費の3割に相当)を負担。
国連軍に加わって、「身体を張って」戦わなかった日本に、世界世論は冷たかった。
国際貢献のために、停戦後、急遽、「ペルシャ湾を船舶が安全に航行できるように」、と、機雷を取り除くため
に、自衛隊を送り込んだ。
クウェートは、米国新聞に、湾岸戦争でクウェートを救ってくれた国々に「感謝」の全面広告を出したが、
そこには、日本の名前が無かった。600億ドル強の戦争経費のうち、130億ドルも負担し、機雷除去のために
自衛隊を派遣したのにもかかわらず。
この教訓(?)から、1992年にPKО協力法を成立させ、自衛隊を国際貢献のために派遣出来る「法的根拠」
を整えた。が、憲法9条がある限り、戦争現場には、派遣できない。
その後、災害復興支援、テロ・戦争禍などの復興支援の必要の都度、法整備をして、自衛隊を派遣してきた。
2012年から、アフリカ・南スーダンの内戦中、内戦で崩壊した道路・電気・水道などインフラ立て直しのため
自衛隊が派遣されたが、「戦争現場」に送ってはいけないという憲法9条に違反したのでは、と国会で紛糾。
「戦争状態だったのかどうか、自衛隊の日記で確認すべきだ」と、野党。最初は、「日記はない」と突っぱねて
いた防衛大臣、安倍政権。その後、「日記が出て来た」と、トカゲ大臣は尻尾を切られ、ウヤムヤに。
憲法違反の「集団的自衛権」を盛り込んだ、新安保法を成立させ、なし崩し的に、憲法9条を改悪して、
自衛隊を戦争現場に派遣できる道筋をつけようとしていた、安倍政権、引き継いだ菅政権。
クウェートに感謝されなかったことが、トラウマになっていたり、「みんなで渡れば怖くない」式の短絡思考で、
戦争現場に自衛隊を派遣するために、憲法9条を変えさせてはならない。
押しつけではあるが、憲法9条は、世界から戦争を無くす、理想が込められているのだ。
クウェートに感謝されなかったことで悔やむより、憲法9条を旗印に、世界から戦争を無くすことに力を尽すこと
が、日本の役割だ。
タチアオイと思込んでいたけれど「ゼニアオイ」でした。サクラ母さんに教えて頂きました。感謝。


これがタチアオイでした。


6月10日、「今日は何の日カレンダー」より 時の記念日、商工会の日、路面電車の日、キャラメルの日、
歩行者天国の日、LPガス消費者保安デー(毎月)
▲バスコ・ダ・ガマ、インド航路開拓のため、リスボン出航(1497)▲新井白石「西洋紀聞」、刊行(1794)
▲世界最初の大学対抗レガッタがテムズ川のヘンレーで始まる(1829)▲森永製菓ミルクキャラメル発売(1913)
▲天智天皇が671年4月25日(太陽暦の6月10日)に、水時計を使って時間を測ったとの言い伝えから、
この日を時の記念日と決め、時間を大切にと全国行事に(1920)▲早大大隈講堂で初のレスリング公開試合(1931)
▲国立西洋美術館開館(1959)▲北陸トンネル開通(1962)▲世界最長歩行者天国。上野から新橋まで5.5km(1973)
▲「モナリザ展」入場者一日3万1120人の新記録(1974) ▲モスクワ国際バレエコンクールで、日本の大川航矢
さんが シニア部門で、千野円句さんがジュニア部門でそろって金賞受賞(2017.6.10.~21)