昨日は、ポツダム宣言記念日でした。
77年前の1945年7月26日は、ベルリン郊外のポツダムに、英チャーチル、米トルーマン、ソ連
スターリンが参集して、戦後ドイツの処置、対日処置、日本の無条件降伏など共同宣言を発表した日です。
この共同宣言は、会議は開かれた地が「ポツダム」だったので、「ポツダム宣言」となったのです。
そして、77年前の今日、1945年7月27日、「ポツダム宣言」が発表された翌日、日本に「無条件
降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いていたのです。
東京・大阪など、多くの都市は、空襲で、「ひめゆり部隊」の悲劇などを産んだ沖縄戦で、敗れ、
日本中がボロボロになっていた。
戦争責任を問われることを恐れた政府は、「ポツダム宣言を無視」し、「一億玉砕」を言い出し、徹底
抗戦を打ち出した。一億玉砕で、日本人が全部死んでしまえば、「戦争責任」はウヤムヤになる。
マスコミは、軍部の広報部に成り下がって、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、
東京はじめ各都市の大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、国民をダマす片棒を担いでいた。
米大統領トルーマンは、開発した「原子爆弾」を使いたくて、ウズウズしていた。
トルーマンは、敗戦に継ぐ敗戦で、冷静な判断が出来なくなっている日本軍部は、「ポツダム宣言を受諾
しないだろう」と、見透かして、「原子爆弾」を実践で使えることを確信していたようです。
7月27日が来る度に、「広島・長崎の原爆投下」の前に「ポツダム宣言を受け入れていたら」と、
東条英機や、安倍元総理のお爺ちゃん(岸信介、戦争を始めた東條内閣の閣僚)達に恨みを言いたくなる。
7月中にポツダム宣言を受け入れていれば、原爆で苦しむ広島・長崎も、全国各地の空襲も、ソ連の参戦
も無く、救われた命は多かった筈なのです。
結果論を言ったらキリがないことですが、政治家は、起こした、最悪の人災である戦争で、重なる悲惨を
食い止める努力を怠たり、国民のことより、戦争責任から逃げることにキュウキュウとしていたのです。
「ポツダム宣言」受諾しなかったことが、広島・長崎の犠牲という大きな代償を払ったが、「無条件降伏」
で、戦勝国は、「二度と戦争出来ない日本に」してくれたのです。
お蔭で、日本は、77年間、世界各地で戦争が起きても、戦争に巻き込まれず、戦争で人を殺すことも無く、
殺されることも無かったのです。
今、プーチンのウクライナ侵略戦争は、77年前の日本の軍事政権と同じ、ウクライナ・ロシア両国民の、
重なる悲惨を食い止めることより、戦争責任から逃げることにキュウキュウとして、経済制裁をしている
欧米側に責任をなすりつけるなど、悪あがきしています。断末魔の形相です。核兵器の「ボタン」をチラ
つかせ、世界中の人間がいなくなれば、戦争責任なんて、問われない、と暴発するかも知れません。
ロシア国民と軍関係者の皆さまの良心にすがるしかありません。プーチンの呪縛を一刻も早く打ち破って!!
ウォーキング中に出会った花。
7月27日「今日は何の日カレンダー」より
▲太閤検地始まる(1582)▲フランス7月革命勃発(1830)▲ゴッホがピストル自殺、2日後死亡(1890)
▲横浜港に入港した船の乗客が、コレラ発症、44人の患者、死者10人に(1916)▲米が日米
通商航海条約を破棄通告(1939)▲世界初のジェット旅客機が初飛行(1949)▲広島で、漁網にかかった
機雷が爆発死者不明46人(1950)▲朝鮮戦争、板門店で休戦協定調印(1953)▲オーストリア、連合国占領
終了主権回復(3か月後に永世中立宣言)(1955)▲東京都で光化学スモッグ警報発令(1970)▲ウォーター
ゲート事件でニクソン大統領弾劾可決(1974)▲バルセロナオリンピックで、中学2年の岩崎恭子日本で史上
最年少金メダル(1992)▲青森から鹿児島まで高速道路で結ばれる(1995)▲アトランタオリンピック中、
オリンピック公園で、爆破事件2名死亡(1996)▲ロンドンオリンピック開幕(2012)▲隅田川花火大会雷雨
で史上初中止に(2013)▲東京五輪、ソフトボール、北京五輪につぎ金メダル(2021)