2月7日、「均等法の母」赤松涼子さんが94歳で亡くなられました。
1960年代までは、女性の結婚退職制は当たり前だったのです。
敗戦で、アメリカの、自由主義、男女同権など、戦前では考えられないことが、日本社会を変えて来ましたが、
「戦後強くなったのは、女性と靴下」なんて、今なら差別用語、が、1953年頃流行語になっていたのです。
強くなったはずの女性は、働く場でも、政治の場でも、なかなか、女性の居場所が認められなかった。
1966年12月、「女性職員だけに結婚退職制度があるのは違法」との判決が出て、赤松さんは、欣喜雀躍。
赤松さんは、市川房江さんや母校津田塾大学長だった藤田たきさんなどの薫陶を受け、「女性活躍の道」を
開くことに力を尽くされていただけに、この判決に、大喜びだったのでしょう。。
1985年、赤松さんが、労働省初代婦人局長だった時に、尽力して「男女雇用機会均等法」が制定されました。
「均等法の母」と呼ばれるようになった、由縁です。
緻密で、論理的、ユーモアあふれるお人柄、小さな体に溢れるエネルギーで、女性の社会進出の道を開いた、
気骨の方でした。
細川内閣、羽田内閣の時、文部大臣を勤めていらっしゃいます。
2009年には、検察官のねつ造によって逮捕された「村木厚子・厚労省雇用均等・児童家庭局長」の無罪解放
の声明を出し、応援。その後、検察官のねつ造が判明。
晩年、「今の20代など若い女性が、『女性が活躍するなんて当たり前』と考えていること」を大変お喜びだったようです。
今、国会で、「記憶がない」と、旧統一教会との癒着疑惑で、ウヤムヤ答弁している、大臣として「記憶力悪すぎる盛山文科相」には、先輩大臣の赤松さんの気骨を見習って頂きたいものです。
赤松良子さんのご冥福を、心からお祈りいたします。
2月12日、「今日は何の日カレンダー」より
パンの日(毎月)、豆腐の日(毎月)
▲興福寺衆徒が東大寺を襲い、放火(1255)▲徳川家康(62)が征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開く(1603)
▲徳川慶喜が江戸城から上野寛永寺へ(1868)▲矢野文雄・尾崎行雄・犬養毅らが東洋議政会を組織(1882)
▲宣統帝(愛新覚羅溥儀)退位、清朝297年の歴史に幕(1912)▲ソ連人工衛星から有人の金星ロケット発射に
成功(1961)▲シャープ、液晶LSI使用の電卓「マイクロコンペット」発売。10万円を切る(1970)
▲ドル10%切り下げ、円は変動相場制へ移行する(1973)▲熊本市が全国で初めて、重度サリドマイド被害の
女性を公務員に採用(1980)▲植村直巳、マッキンリー冬季単独登頂に成功。しかし下山途中行方不明(1984)
▲「かい人21面相」が脅迫状つきの毒入りチョコをばらまく(1985) ▲バンクーバー五輪開幕(2010)
▲北朝鮮3回目の核実験(2013)▲グアムで通り魔事件、日本人3名死亡(2013)