益田市七尾城対談
◆対談者
益田市七尾城には城郭ビイスタ
工法が存在するのでしょうか?
◆長谷川
青 大ビイスタ
赤 中ビイスタ
薄青〇小ビイスタ
と大中小のビイスタ工法が存在
致します。基本は自然地形です
が地選地取段階にビイスタ工法
適用し易い地形を選択したもの
▼上を東に見た図
▼下を北に見た図
以下ウイッキペデイア益田城引用
七尾城(ななおじょう)は島根県
城跡は、同市三宅町にある三宅
概要[編集]
本拠とした益田氏の城。歴代の
益田氏が居館とした三宅御土居など
メートルの七尾山に築かれた。
山頂の本丸跡(標高約118メートル)
からは益田平野から日本海までを
一望できる。なお、三宅御土居跡
とは、益田川を挟み870メートル
の距離がある。発掘調査により、
家臣たちが居城とするなど、戦時
のみに使われる城郭という従来の
山城のイメージを塗り替えるもの
歴史[編集]
築城時期は諸説あるが、通説では
を急襲したことが益田家文書に
残る[6]。
戦国時代後期、益田氏は陶氏と
縁戚関係にあり、大寧寺の変で
も陶隆房(後の陶晴賢)に協力
していたが、その陶晴賢が天文
毛利元就に敗れると、当時の益
田氏当主・益田藤兼は毛利勢の
攻撃に備えて城を大改修した[6]。
この時、藤兼とその家臣たちは、
三宅御土居を出て七尾城内に移
住したとされる。その後、藤兼
は元就の軍門に降って毛利氏の
家臣となり、藤兼の子・益田
元祥は三宅御土居に居館を戻し
されると、益田元祥も毛利氏に
従って長門須佐へと移り、七尾
城は廃城となった。
◆日野町民様
先週投稿の滋賀県日野町鎌掛
城のビイスタ工法には驚愕を
いたしました素晴らしい研究
家の存在を令和に知りました。
滋賀県蒲生郡日野町の場合
▼山頂を中心とするビイスタ
▼中腹を中心とする鎌掛城ビイスタ
◆有識者
僕は梯郭式、連郭式、円郭式、連
郭式、曲輪論、虎口論、考古論を
中心に学んできた優等生タイプ人
間ですが安土城ビイスタ論に驚く
◆対談者
僕が会得してきた城郭論は僕が
図書や講演や講座で取得した知識
既知理論、既成概念論の上に醸造
バイヤス上の昭和平成城郭理論で
それと異なる全く新しい城郭幾何
学理論ビイスタ工法動画の台頭は
本当に驚異的とも言えるものです。
▼姫路城 扇型ビイスタ
▼肥前名護屋城 ビイスタ論図
◆米原市民様
最初鎌刃城ビイスタ論を鼻先で
私は笑って失笑したものですが
長谷川さん御指摘を冷静に傾聴
する新しい城の世界知るべき時
節と考え始めました。時代とと
もに研究視点や会社は変わてく
ものと最近考えている所です。
◆長谷川
思いもよらぬ方に推薦を先年
賜り地元米原学びあいステー
ションの講師として招聘され
て自分自身が驚いております。
私が講演に行く所とは名古屋
岐阜三重兵庫と県外である事
が多かったので米原町内講座
は誠に夢の様にもに感じます。
米原市内での講座ご案内です。
◆日時 令和4年7月28日木曜
御前10時~11時30
◆場所 滋賀県米原市下多良三丁目
◆施設 米原学びあいステーション
◆☎ 0749ー52-2240
◆講師 滋賀民俗学会理事 長谷川博美
◆参加費 500円
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