私も何とか3次試験にたどり着き、宮崎で飛行試験に臨んだことを思い出しました。
確か単発のビーチクラフトに教官1人に受験生2人が乗り込み、上空でいきなり操縦桿を渡され、さあ飛ばして見て、といったのりで適用性を見ていたようです。
全くの素人ですから上手く飛ばせるわけがなく、上下左右大揺れで変なGがかかり、受験生の中には飛行中に嘔吐してしまった者もいたようです。
合計3回の飛行テスト、2回目からでしょうか、計器を見て操縦するようにとの教官の指示で、最後の方は結構直線・旋回もできるようになった記憶があります。
どうも、1,2,3回 と操縦の上手さではなく、どれだけ飛ぶことに慣れるかを見ていたようです。
最終合格者は90名位だったでしょうか。(30名づつ、入学時期が3期に分かれていた。)
合格発表は、霞ヶ関の運輸省(今は国土交通省)のエレベーター出口付近の壁(何階だったか忘れましたが)にA3程度の小さな紙に張り出されていた記憶があります。
今回の事故では、奇跡的に1名(訓練生)の生存者がいらっしゃり、計器飛行訓練中で本人は外が見えない状況で山に激突したとのこと。
今の飛行機は高性能のレーダー&コンピューターによる自動警報装置があるだろし、更に教官も2人搭乗していたとのことで、信じられない事故のように思えます。
記憶では、入学して最初の1年が帯広、2年目から宮崎だったので、今回事故に遭われた訓練生の方々は、恐らく1年生で経験も浅かったのでは?
いずれにしましても、なくなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、徹底した事故原因の調査と再発防止を切に望みます。
確か単発のビーチクラフトに教官1人に受験生2人が乗り込み、上空でいきなり操縦桿を渡され、さあ飛ばして見て、といったのりで適用性を見ていたようです。
全くの素人ですから上手く飛ばせるわけがなく、上下左右大揺れで変なGがかかり、受験生の中には飛行中に嘔吐してしまった者もいたようです。
合計3回の飛行テスト、2回目からでしょうか、計器を見て操縦するようにとの教官の指示で、最後の方は結構直線・旋回もできるようになった記憶があります。
どうも、1,2,3回 と操縦の上手さではなく、どれだけ飛ぶことに慣れるかを見ていたようです。
最終合格者は90名位だったでしょうか。(30名づつ、入学時期が3期に分かれていた。)
合格発表は、霞ヶ関の運輸省(今は国土交通省)のエレベーター出口付近の壁(何階だったか忘れましたが)にA3程度の小さな紙に張り出されていた記憶があります。
今回の事故では、奇跡的に1名(訓練生)の生存者がいらっしゃり、計器飛行訓練中で本人は外が見えない状況で山に激突したとのこと。
今の飛行機は高性能のレーダー&コンピューターによる自動警報装置があるだろし、更に教官も2人搭乗していたとのことで、信じられない事故のように思えます。
記憶では、入学して最初の1年が帯広、2年目から宮崎だったので、今回事故に遭われた訓練生の方々は、恐らく1年生で経験も浅かったのでは?
いずれにしましても、なくなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、徹底した事故原因の調査と再発防止を切に望みます。
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