上の子が産まれてから妻が勝手にやりだした
しまじろうで有名な”こどもちゃれんじ”
月に1度、子供の月齢に合わせた玩具や本やDVDなどなど届き
それぞれの月齢での悩みや子育てでおこりうる対処法なども
ミニ冊子でついてきます
この対処法のある冊子は
とにかく怒らない・感情的にならない・子供の目線で
と、いった感じで
別のとらえかたや言い方をかえるだけでこうも違うと言ったトコロですね
一見すばらしくもみえる冊子ではあるが
やはり冊子程度で現場を知らないようで
簡単に言いますと
子供のイヤイヤ→親の一般的な対応(ダメ・怒る)ではなく
子供のイヤイヤ→その子供の気持ちをくんで、
言い方を変えて理解してもらう。もしくは方向を変える。
と、言った感じ。
それであたかもこの冊子は
”こうすれば子供はわかる”
”こんな言い回しもあるんです”
”日常では大変ですが気持ちにゆとりを持とう”的な発想です。
先程の
子供のイヤイヤ→その子供の気持ちをくんで、
言い方を変えて理解してもらう。もしくは方向を変える。
と、あったが
この冊子はここで終わりなんです。
なにを言いたいかというと
仮に言いまわしや子供に理解してもらおうとしていっても
結局、子供にイヤイヤの火が着いたら
そんなもんじゃ鎮火せず、もっとひどくなるか
せいぜいよくなっても、けっこう時間がかかるだけ。
子供の”あれがいい””これをやりたかった”に対して
日頃の時間のない時や、1日にやらなければいけない事があると
いちいちつき合ってられないし、そこに冊子のような言葉や考えを添えても効率が悪い。
あれがいい・これをやりたかったって思う子はそれができなければ泣きます。
そして完全にできないとなるともっと泣きます。
そこに冊子の事を実戦しても
結局泣きます。
この冊子はあたかも
このようにすればいいんです的な活字ではあるが
その先の”もっと泣く現状”を知らないようだ。
親からの虐待が増える中
このような冊子によって
親のココロを落ち着かせるのはいいが
あまりにも本来の親の姿ではなく
仮面をかぶった親のようで
本当の気持ちをぶつけれない親はどうなのか?
親がイライラしたら子供にあたるのもよし。
子供が言う事を聞かないのならガツンといってもよし。
もし仮にイライラしたり日頃の子育てで子供に
怒ったり、感情的になったり、親の都合でダメといったら
親として失格もしくはまだまだできてない親と言うなら
逆に冊子にあったような
感情を殺して、子供に理解してもらおうとやんわり言う親は
自分の家の中でならそれでいいが
一歩外に出て外部に触れた時は
もしかしたらとても迷惑な親かもしれない…
やんわり家庭の子供が他に迷惑をかけたとする。
1・母”あら。これはね大切な物だからこわしたり触ったら困るんだよ”
2・母”あら。あの子をたたいちゃったの?あの子痛かったよ”
3・母”あら。道路にとびだしちゃったの?車が来るからあぶないんだよ”
こんな言い回しをする前に言う事がある。
それは
”お前なにやってんのよ!”
いちいちやんわりな言い方をする前に本来しなければいけない親からのセリフは
これに限ります。
日頃からのやんわり家庭だと
母”あら。これがしたかったんだね。でもいまはだめなんだよ”といった
一度、子供の気持ちをくんでから否定するのがいいとされている。この冊子に限っては。
では先程の事におきかえると
1・店や公共の物などを触って壊してその言い方はないだろうと普通は思うし、なによりもそれを触ってしまうかもしれないという予測ができていない+子供の行動をみていない時点でNGな親。
2・たたかれたほうの親の気持ちは”なにあの子”が一番先にきます。なのにたたいた子の親は自分の子をさとす。これってかなりの反感をかいますね。
3・ひかれたら終わり。身の危険はさとすよりその時の表情や感情で言い、子供に本当にやばかったとインパクトを持たせなければ。
冊子はあくまでも参考物として出しているとは思うが
あまりにも現場の先を想定していなく
いかにもこれを実戦すると”イイ親”的な書き方が気になってしまう。
あくまでもわたしが感じた事ではあるが。
子供の年齢と同じだけしか親のとしての経験値は上がらないが
最近の子育て系の本や番組は
あまりにも親をふりまわすような気がしてならない。
しまじろうで有名な”こどもちゃれんじ”
月に1度、子供の月齢に合わせた玩具や本やDVDなどなど届き
それぞれの月齢での悩みや子育てでおこりうる対処法なども
ミニ冊子でついてきます

この対処法のある冊子は
とにかく怒らない・感情的にならない・子供の目線で
と、いった感じで
別のとらえかたや言い方をかえるだけでこうも違うと言ったトコロですね

一見すばらしくもみえる冊子ではあるが
やはり冊子程度で現場を知らないようで
簡単に言いますと
子供のイヤイヤ→親の一般的な対応(ダメ・怒る)ではなく
子供のイヤイヤ→その子供の気持ちをくんで、
言い方を変えて理解してもらう。もしくは方向を変える。
と、言った感じ。
それであたかもこの冊子は
”こうすれば子供はわかる”
”こんな言い回しもあるんです”
”日常では大変ですが気持ちにゆとりを持とう”的な発想です。
先程の
子供のイヤイヤ→その子供の気持ちをくんで、
言い方を変えて理解してもらう。もしくは方向を変える。
と、あったが
この冊子はここで終わりなんです。
なにを言いたいかというと
仮に言いまわしや子供に理解してもらおうとしていっても
結局、子供にイヤイヤの火が着いたら
そんなもんじゃ鎮火せず、もっとひどくなるか
せいぜいよくなっても、けっこう時間がかかるだけ。
子供の”あれがいい””これをやりたかった”に対して
日頃の時間のない時や、1日にやらなければいけない事があると
いちいちつき合ってられないし、そこに冊子のような言葉や考えを添えても効率が悪い。
あれがいい・これをやりたかったって思う子はそれができなければ泣きます。
そして完全にできないとなるともっと泣きます。
そこに冊子の事を実戦しても
結局泣きます。
この冊子はあたかも
このようにすればいいんです的な活字ではあるが
その先の”もっと泣く現状”を知らないようだ。
親からの虐待が増える中
このような冊子によって
親のココロを落ち着かせるのはいいが
あまりにも本来の親の姿ではなく
仮面をかぶった親のようで
本当の気持ちをぶつけれない親はどうなのか?
親がイライラしたら子供にあたるのもよし。
子供が言う事を聞かないのならガツンといってもよし。
もし仮にイライラしたり日頃の子育てで子供に
怒ったり、感情的になったり、親の都合でダメといったら
親として失格もしくはまだまだできてない親と言うなら
逆に冊子にあったような
感情を殺して、子供に理解してもらおうとやんわり言う親は
自分の家の中でならそれでいいが
一歩外に出て外部に触れた時は
もしかしたらとても迷惑な親かもしれない…
やんわり家庭の子供が他に迷惑をかけたとする。
1・母”あら。これはね大切な物だからこわしたり触ったら困るんだよ”
2・母”あら。あの子をたたいちゃったの?あの子痛かったよ”
3・母”あら。道路にとびだしちゃったの?車が来るからあぶないんだよ”
こんな言い回しをする前に言う事がある。
それは
”お前なにやってんのよ!”
いちいちやんわりな言い方をする前に本来しなければいけない親からのセリフは
これに限ります。
日頃からのやんわり家庭だと
母”あら。これがしたかったんだね。でもいまはだめなんだよ”といった
一度、子供の気持ちをくんでから否定するのがいいとされている。この冊子に限っては。
では先程の事におきかえると
1・店や公共の物などを触って壊してその言い方はないだろうと普通は思うし、なによりもそれを触ってしまうかもしれないという予測ができていない+子供の行動をみていない時点でNGな親。
2・たたかれたほうの親の気持ちは”なにあの子”が一番先にきます。なのにたたいた子の親は自分の子をさとす。これってかなりの反感をかいますね。
3・ひかれたら終わり。身の危険はさとすよりその時の表情や感情で言い、子供に本当にやばかったとインパクトを持たせなければ。
冊子はあくまでも参考物として出しているとは思うが
あまりにも現場の先を想定していなく
いかにもこれを実戦すると”イイ親”的な書き方が気になってしまう。
あくまでもわたしが感じた事ではあるが。
子供の年齢と同じだけしか親のとしての経験値は上がらないが
最近の子育て系の本や番組は
あまりにも親をふりまわすような気がしてならない。